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和暦 :   西暦 :   月  日 
事項 :   
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嘉元1年 1303年 -月-日
大舘氏明が生まれる。
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嘉元1年 1303年 8月5日
「乾元」より「嘉元」に年号が改まる。
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嘉元1年 1303年 12月2日
北条高時が生まれる。
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嘉元1年 1303年 12月2日
子・高時が生まれる。
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嘉元3年 1305年 -月-日
斯波高経が生まれる。
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嘉元3年 1305年 -月-日
脇屋義助が生まれる。
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嘉元3年 1305年 7月27日
足利尊氏が生まれる。
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徳治1年 1306年 12月14日
「嘉元」より「徳治」に年号が改まる。
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徳治1年 1306年 -月-日
足利直義が生まれる。
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延慶1年 1308年 -月-日
護良親王が生まれる。
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延慶1年 1308年 10月9日
「徳治」より「延慶」に年号が改まる。
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応長1年 1311年 4月28日
「延慶」より「応長」に年号が改まる。
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応長1年 1311年 5月-日
覚如が越前国に赴く。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

応長1年 1311年 10月26日
北条貞時が死去する。
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正和1年 1312年 3月20日
「応長」より「正和」に年号が改まる。
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正和1年 1312年 9月10日
富樫家春が幕府より熊野悪党合戦の功により伯耆国野津郷気徳村地頭職を賜う。
出典:同年月日付関東下知状案『如意宝珠御修法日記裏書文書』

正和2年 1313年 9月22日
富樫家春が幕府より伊勢国常光・天暦両寺領散在田畠地頭職を賜う。
出典:同年月日付関東下知状案『如意宝珠御修法日記裏書文書』

正和3年 1314年 -月-日
赤松則祐が生まれる。
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正和3年 1314年 9月13日
正和3年5/1に新日吉社で喧嘩をした張本人である青蓮院門徒の中瑠璃坊但馬坊承季を富樫家春が預かる。
出典:『公衡公記』同年月日条

正和3年 1314年 -月-日
覚如が山城国川島里に久遠寺を建立する。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

正和5年 1316年 6月7日
長谷寺で十三重塔供養が行われる。
出典:『尋尊大僧正記』同年月日条

文保1年 1317年 2月3日
「正和」より「文保」に年号が改まる。
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文保2年 1318年 2月29日
後醍醐天皇が即位する。
出典:『桜雲記』巻之上

文保2年 1318年 3月2日
北畠顕家が生まれる。
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文保2年 1318年 3月15日
島津忠宗が家督を子・貞久に譲る。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠宗」・「島津貞久」の項

元応1年? 1319?年 -月-日
菊池武光が生まれる。
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文保3年 1319年 1月19日
兵庫関のことについて東大寺が春日神輿を入京させる強訴をし、七条河原で渋谷氏と春日神人が戦闘。神人は逃げ去り神輿が七条河原に振り捨てられたままであったため、神輿を蓮華王院に移す。
出典:『文保三年記』同年月日条

文保3年 1319年 4月25日
4/18、園城寺に勅使が派遣され供養が行われたことに立腹した延暦寺は園城寺に向かい大津(近江国)の在家や園城寺内の堂舎・仏閣・僧坊を一宇も残さず焼き払う。
出典:『文保三年記』同年月日条

元応1年 1319年 4月28日
「文保」より「元応」に年号が改まる。
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文保3年 1319年 5月1日
園城寺の大鐘を御室戸に運ぶのを聞きつけた延暦寺が、それを阻止しようと襲撃する。攻撃を加えた延暦寺僧のうち疵を負った者もあり、また西塔讃岐竪者は武士によって討たれたという。
出典:『文保三年記』同年月日条

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