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事項 :   
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元徳1年 1329年 8月29日
「嘉暦」より「元徳」に年号が改まる。
出典:-

元徳2年 1330年 5月-日
御醍醐天皇の勅により幕府調伏の祈祷をしたとして、幕府が円観、文観、忠円を捕らえ鎌倉に送還する。
出典:『桜雲記』巻之上

元徳2年 1330年 5月-日
日野資朝が配所の佐渡国にて本間氏に殺害される。
出典:『桜雲記』巻之上

元徳2年 1330年 6月18日
足利義詮が生まれる。
出典:-

元徳2年 1330年 6月-日
北条茂時が執権となる。
出典:『桜雲記』巻之上

元徳2年 1330年 7月-日
日野俊基が幕府に捕らえられ、鎌倉に移送された後、殺害される。
出典:『桜雲記』巻之上

元徳3年 1331年 -月-日
新田義興が生まれる。
出典:-

元徳3年 1331年 3月6日
北畠顕家後醍醐天皇の前で陵王の舞を舞う。
出典:『増鏡』「むら時雨 北山行幸」、『桜雲記』巻之上

元徳3年 1331年 4月24日
後醍醐天皇が笠置城(山城国)に行幸する。
出典:『関城書裏書』

元徳3年 1331年 4月-日
後宇多法皇が大覚寺に金堂を建立する。
出典:『桜雲記』巻之上

元弘1年 1331年 8月9日
「元徳」より「元弘」に年号が改まる。
出典:-

元弘1年 1331年 9月27日
幕府を倒幕するため挙兵した後醍醐天皇の籠る笠置城(山城国)を攻めるため幕府軍が発向する。
出典:『関城書裏書』

元弘1年 1331年 9月27日
幕府を倒幕するため挙兵した後醍醐天皇の籠る笠置城(山城国)攻めに加わる。
出典:『関城書裏書』

元弘1年 1331年 10月-日
光厳天皇が即位する。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶1年 1332年 1月-日
如信の33回忌につき覚如が陸奥国大網に赴き仏事を修す。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

元弘2年 1332年 3月7日
後醍醐天皇が配所・隠岐国に赴くべく、京都を出立する。千葉五郎左衛門・佐々木備中判官が道中を警固する。
出典:『関城書裏書』

元弘2年 1332年 3月13日
後醍醐天皇が美保湊(出雲国)に到着する。
出典:『桜雲記』巻之上

元弘2年 1332年 4月21日
後醍醐天皇が隠岐国に渡海し、国分寺に入る。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶1年 1332年 4月28日
「元弘」より「正慶」に年号が改まる。
出典:『桜雲記』巻之上

元弘2年 1332年 4月-日
楠木正成下赤坂城(河内国)を攻め、同城を落とす。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶1年 1332年 5月-日
楠木正成天王寺に陣取る。正成討伐のため六波羅より出陣した須田・高橋と正成が戦い、正成が勝利する。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶1年 1332年 7月-日
楠木正成と宇都宮公綱が戦う。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶1年 1332年 8月-日
赤松円心が苔縄城(播磨国)にて後醍醐天皇に味方するとして挙兵する。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶1年 1332年 8月-日
楠木正成千早城(河内国)を築く。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶1年 1332年 9月-日
護良親王楠木正成等を討伐するための北条貞直・北条時治・二階堂道薀率いる幕府軍が上洛する。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 1月16日
二階堂貞藤が幕府軍の総大将として吉野を攻撃する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

正慶2年 1333年 2月2日
善如が生まれる。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

正慶2年 1333年 2月2日
子・善如が生まれる。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

正慶2年 1333年 2月-日
幕府軍が赤坂城(河内国)を攻め落とす。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 2月-日
幕府軍が護良親王の拠る吉野城(大和国)を攻め落とす。
出典:『桜雲記』巻之上

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