人 物 史

前田長種 まえだ ながたね
生 没 年天文19年(1550)-寛永8年(1631)3/11
出 身-幼 名-
別 称甚七郎
法 名源峯
戒 名-
前田長定-
兄 弟 姉 妹前田長種、女(横山長知の妻)
配 偶 者幸(前田利家の娘)
前田直知、前田長時、慶春院(溝口善勝の妻)、娘(神尾之直の妻)
官 位対馬守
役 職-
城 郭前田城(尾張国)、七尾城(能登国)、守山城(越中国)、富山城(越中国)、小松城(加賀国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ史料にみえる前田長種の呼称
前田長種 年表
天文19年 1550年 -月-日 1歳
前田長種が生まれる。
出典:-

弘治1年 1555年 10月23日 6歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
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弘治4年 1558年 2月28日 9歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
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元亀1年 1570年 4月23日 21歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
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天正1年 1573年 7月28日 24歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
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天正10年 1582年 6月2日 33歳
本能寺に宿泊中の織田信長を、早朝、明智光秀が襲撃する。信長は自害する。また、光秀は二条殿に籠城する織田信忠とその小姓勢を討ち取る。
信長勢:森成利(戦死)、福富秀勝(戦死)、野々村正成(戦死)。
信忠勢:村井貞勝(戦死)、菅屋長頼(戦死)、織田信房(戦死)、団忠正(戦死)。
出典:『多聞院日記』同年月日・3日条

天正12年 1584年 6月18日 35歳
織田信雄徳川家康滝川一益の守る蟹江城(尾張国)、前田長種の守る前田城(尾張国)、前田長俊の守る下市場城(尾張国)を包囲する。
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天正12年 1584年 6月22日 35歳
織田信雄徳川家康滝川一益の守る蟹江城(尾張国)を攻め、同城を落とす。
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天正12年 1584年 6月23日 35歳
石川数正が攻めていた前田長種の籠る前田城(尾張国)が開城する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第120「清和源氏 義時流 石川」「石川数正」の項

文禄1年 1592年 12月8日 43歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
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慶長1年 1596年 10月27日 47歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
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慶長3年 1598年 8月18日 49歳
豊臣秀吉が死去する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長4年 1599年 閏3月3日 50歳
前田利家が死去する。
出典:『黒田家譜』巻9「長政記」、『当代記』巻3同年3月2日条

慶長19年 1614年 5月20日 65歳
前田利長が死去する。
出典:-

慶長19年 1614年 7月13日 65歳
徳川秀忠の使者として土井利勝駿府城(駿河国)にいる徳川家康のもとを訪れ、前田利長の隠居領である能登国160000石について、前田利光に給付すべきか否か相談する。家康は前田家家老の前田長種、水原新左衛門、奥村栄頼本多政重を呼び、利光の妻である珠に30000石を給付すること、利光は若年によりよくよく後見するようにと命じる。家老衆は感涙し退出する。家老衆はそれぞれ家康に加賀絹50疋を献上する。また、利長の遺物である脇差(銘 不動正宗)・刀(銘 備前三郎)を家康に献上する。本多正純が披露する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 9月16日 65歳
前田利光が駿府(駿河国)に到着する。午刻(11-13時)、駿府城(駿河国)にいる徳川家康のもとに利光が礼をする。利光は黄金100枚・紅染絹200疋・白絹100疋を献上し、家康に対面する。家康は利光に太刀(銘 守家)・脇差(銘 長光)を賜う。本多正純が下賜物を伝達する。利光の家臣である奥村栄明奥村栄頼が家康と対面する。服を献上する。
夜、家康が利光に継目の朱印状を発給する。正純、土井利勝が利光のもとに持参する。
家康が利光に、17日朝に徳川秀忠のもとに戻るよう命じる。
出典:『駿府記』同年月日条

元和1年 1615年 7月13日 66歳
「慶長」より「元和」に年号が改まる。
出典:『駿府記』同年月日条

元和2年 1616年 4月17日 67歳
徳川家康が死去する。
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寛永1年 1624年 2月30日 75歳
「元和」より「寛永」に年号が改まる。
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寛永8年 1631年 3月11日 82歳
前田長種が死去する。
出典:-

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