人 物 史

佐々木高秀 ささき たかひで
生 没 年嘉暦1年(1328)-明徳2年・元中8年(1391)10/11
出 身-幼 名-
別 称五郎、三郎左衛門尉
法 名-
戒 名岳雲道高仙林寺
佐々木道誉二階堂時綱の娘
兄 弟 姉 妹佐々木秀綱、高橋秀宗、佐々木高秀、女(赤松則祐の妻)、女(斯波氏頼の妻)、女(六角氏頼の妻)
配 偶 者-
京極高詮、吾全秀満、尼子高久、宍道秀益、宇賀野高雅、多田満秀
官 位左衛門尉、大膳大夫、治部少輔
役 職室町幕府 評定衆、侍所所司
出雲国守護、飛騨国守護、隠岐国守護
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ佐々木高秀の関連文化財
佐々木高秀 年表
嘉暦3年 1328年 -月-日 1歳
佐々木高秀が生まれる。
出典:-

元徳1年 1329年 8月29日 2歳
「嘉暦」より「元徳」に年号が改まる。
出典:-

元弘1年 1331年 8月9日 4歳
「元徳」より「元弘」に年号が改まる。
出典:-

正慶1年 1332年 4月28日 5歳
「元弘」より「正慶」に年号が改まる。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 5月22日 6歳
新田義貞が幕府の拠点である鎌倉(相模国)を制圧する。北条高時北条基時が自害する。
出典:『関城書裏書』

延元1年 1336年 2月29日 9歳
「建武」より「延元」に年号を改める。
出典:『桜雲記』巻之上、『大乗院日記目録』同年月条

建武5年 1338年 2月6日 11歳
黒地川にて高師泰・細川頼春と北畠顕家が戦う。
出典:『桜雲記』巻之中

建武5年 1338年 2月14日 11歳
雲津川・墨俣川口にて高師泰・細川頼春と北畠顕家が戦い、顕家が勝利する。
出典:『桜雲記』巻之中

暦応2年・延元4年 1339年 8月16日 12歳
後醍醐天皇が崩御する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

貞和4年・正平3年 1348年 1月5日 21歳
四条畷(河内国)にて高師直と楠木正行が戦い、師直が勝利する。正行・正時兄弟が戦死する。
出典:-

貞和5年・正平4年 1349年 8月24日 22歳
足利直義が高師直により出家・隠居させられる。直義は恵源と名乗る。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応1年 1350年 12月9日 23歳
足利直義が南朝に降伏する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応2年・正平6年 1351年 2月26日 24歳
武庫川(摂津国)にて上杉能憲等が高師直、高師泰、高師世を殺害する。
出典:-

観応2年・正平6年 1351年 7月30日 24歳
足利直義が京を抜け北陸に落ちる。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応2年・正平6年 1351年 10月8日 24歳
足利直義が鎌倉(相模国)に着く。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応2年・正平6年 1351年 12月15日 24歳
薩唾山の合戦で足利尊氏足利直義が戦い尊氏が勝利する。直義は尊氏に降伏する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応3年・正平7年 1352年 2月26日 25歳
足利直義が死去する。毒殺が噂される。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延文3年・正平13年 1358年 4月29日 31歳
足利尊氏が死去する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

貞治6年・正平22年 1367年 11月25日 40歳
足利義詮が政務を子・義満に譲り、細川頼之を管領とする。
出典:『愚管記』同年月26日条

貞治6年・正平22年 1367年 12月7日 40歳
足利義詮が死去する。
出典:-

正平23年 1368年 3月11日 41歳
後村上天皇が崩御する。
出典:-

応安3年・正平25年 1370年 6月7日 43歳
六角氏頼が死去する。
出典:-

応安3年・建徳1年 1370年 7月24日 43歳
「正平」より「建徳」に南朝の年号が改まる。
出典:-

応安6年・文中2年 1373年 8月10日 46歳
細川氏春・赤松光範が楠木正儀の手引きにより南朝の行宮所・天野(河内国)に攻め入り、同所を落とす。長慶天皇は天野より逃亡する。南朝方は四条隆資が戦死する。
出典:『後愚昧記』同年月13日条、『愚管記』同年月12日条

応安6年・文中2年 1373年 8月25日 46歳
父・道誉が死去する。
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康暦1年 1379年 3月22日 52歳
「永和」より「康暦」に北朝の年号が改まる。
出典:-

嘉慶1年・元中4年 1387年 8月2日 60歳
「至徳」より「嘉慶」に北朝の年号が改まる。
出典:-

明徳2年・元中8年 1391年 10月11日 64歳
佐々木高秀が死去する。
出典:-

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