人 物 史

仁賀保挙誠 にかほ たかのぶ
生 没 年永禄5年(1562)-寛永2年(1625)2/24
出 身出羽国幼 名-
別 称赤尾津勝俊、光誠
法 名本公正山
戒 名-
赤尾津光政、仁賀保挙晴[養父]-
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者田村掃部の娘
仁賀保良俊、仁賀保誠政、仁賀保誠次、娘(本田正次の妻)、娘(鹿島出羽の妻)
官 位兵庫頭
役 職-
城 郭-
参 考 文 献国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重修諸家譜 第2輯 刊本
関 連 デ ー タ-
仁賀保挙誠 年表
永禄5年 1562年 -月-日 1歳
仁賀保挙誠出羽国にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第205「仁賀保挙誠」の項

元亀1年 1570年 4月23日 9歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 12歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正5年 1577年 8月19日 16歳
仁賀保挙長が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第205「仁賀保挙長」の項

天正10年 1582年 6月2日 21歳
本能寺に宿泊中の織田信長を、早朝、明智光秀が襲撃する。信長は自害する。また、光秀は二条殿に籠城する織田信忠とその小姓勢を討ち取る。
信長勢:森成利(戦死)、福富秀勝(戦死)、野々村正成(戦死)。
信忠勢:村井貞勝(戦死)、菅屋長頼(戦死)、織田信房(戦死)、団忠正(戦死)。
出典:『多聞院日記』同年月日・3日条

天正11年 1583年 7月6日 22歳
仁賀保重挙が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第205「仁賀保重挙」の項

天正14年 1586年 10月15日 25歳
仁賀保挙晴が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第205「仁賀保挙晴」の項

文禄1年 1592年 12月8日 31歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

慶長1年 1596年 10月27日 35歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-

慶長3年 1598年 8月18日 37歳
豊臣秀吉が死去する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

元和1年 1615年 7月13日 54歳
「慶長」より「元和」に年号が改まる。
出典:『駿府記』同年月日条

元和2年 1616年 4月17日 55歳
徳川家康が死去する。
出典:-

元和2年 1616年 -月-日 55歳
仁賀保挙誠伏見城(山城国)在番となる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第205「仁賀保挙誠」の項

元和9年 1623年 10月18日 62歳
徳川秀忠仁賀保挙誠が仁賀保(出羽国)10000石を給付する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第205「仁賀保挙誠」の項

元和9年 1623年 12月6日 62歳
仁賀保挙誠が仁賀保(出羽国)に帰還すべく暇を許される。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第205「仁賀保挙誠」の項

寛永1年 1624年 2月30日 63歳
「元和」より「寛永」に年号が改まる。
出典:-

寛永2年 1625年 2月24日 64歳
仁賀保挙誠が仁賀保(出羽国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第205「仁賀保挙誠」の項

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