人 物 史

森成利 もり なりとし
生 没 年永禄8年(1565)-天正10年(1582)6/2
出 身美濃国金山幼 名-
別 称乱、乱丸、乱法師、蘭丸、長定、長康
法 名-
戒 名月江宗春居士
森可成えい(妙向尼)(林通安の娘)
兄 弟 姉 妹女(関成政の妻)、森可隆、女(青木秀重の妻)、森長可、女(木下勝俊の妻)、森成利、森長隆、森長氏、森忠政
配 偶 者-
-
官 位-
役 職-
城 郭金山城(美濃国)
参 考 文 献国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重修諸家譜 第1輯 刊本
関 連 デ ー タ森成利の関連文化財
森成利 年表
永禄8年 1565年 -月-日 1歳
森成利美濃国金山にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第126「森長定」の項

元亀1年 1570年 4月23日 6歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀1年 1570年 4月25日 6歳
織田信長が敦賀(越前国)に着陣し、手筒山城(越前国)を攻める。織田勢は森可隆が戦死する。
出典:『信長公記』巻3(4)「越前手筒山攻落されの事」、『言継卿記』同年月27日条、『多聞院日記』同年月29日条、『当代記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第126「森可隆」の項

元亀1年 1570年 -月-日 6歳
弟・忠政美濃国金山にて生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第126「森忠政」の項にみえる没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第126「森忠政」の項

天正1年 1573年 7月28日 9歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正5年 1577年 5月-日 13歳
森蘭丸・坊丸・力丸兄弟が織田信長の近習となる。
出典:『兼山記』

天正7年 1579年 4月18日 15歳
織田信長が塩川伯耆に銀子100枚を遣わす。使者は森蘭丸、中西権兵衛。
出典:『信長公記』巻12(1)「摂津国御陣の事」

天正10年 1582年 3月20日 18歳
小笠原信嶺が織田信長のもとに礼に訪れる。馬を進上する。信長は信嶺の功績を賞し、本領を安堵する。安堵を伝える使者は矢部家定森成利
出典:『信長公記』巻15(15)「木曽義政出仕の事」

天正10年 1582年 3月29日 18歳
織田信長が武田家の遺領の知行割を行う。甲斐国を川尻秀隆に、駿河国を徳川家康に、上野国一国・信濃国の小県郡・佐久郡を滝川一益に、信濃国の高井郡・水内郡・更科郡・埴科郡を森長可に、信濃国の木曽谷・安曇郡・筑摩郡を木曽義昌に、信濃国の伊那郡を毛利秀頼に、信濃国の諏訪郡を穴山梅雪に、岩村(美濃国)を団忠正に、金山米田島(美濃国)は森成利に給付する
出典:『信長公記』巻15(19)「御国わりの事」

天正10年 1582年 6月2日 18歳
本能寺に宿泊中の織田信長を、早朝、明智光秀が襲撃する。信長は自害する。また、光秀は二条殿に籠城する織田信忠とその小姓勢を討ち取る。
信長勢:森成利(戦死)、福富秀勝(戦死)、野々村正成(戦死)。
信忠勢:村井貞勝(戦死)、菅屋長頼(戦死)、織田信房(戦死)。
出典:『多聞院日記』同年月日・3日条

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