天正16年 1588年 4月16日 |
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「千歳へむ 君がよはひを けふはなを 色にみせたる 庭の松枝」と詠む。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月16日 |
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「けふよりや 砌の松の かげにしも 数へん君が 千代の行末」と詠む。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月16日 |
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「豊なる 都のうちの 松風に おきつしまねも なみしづか也」と詠む。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月16日 |
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「移しうふる 庭は高砂 住の江も おなじちとせの 相生のまつ」と詠む。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月16日 |
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「深縁 千代にやちよの 色そへて けふぞ見えたる 庭の松がえ」と詠む。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月16日 |
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「縁たつ 松の葉ことに 此君の ちとせのかずを 契りてぞみる」と詠む。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月16日 |
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「治れる みよぞと祝ふ 松風も 民の草葉も 猶なびくなり」と詠む。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月16日 |
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「かけてけふ 行幸をまつの 藤浪の ゆかり嬉しき 花の色かな」と詠む。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月16日 |
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「万代の 君が行幸に なれなれむ みとり木高き 軒の玉松」と詠む。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月16日 |
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「日にそひて 木高き庭の 枝がえの いかに千歳の 後は栄へむ」と詠む。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月16日 |
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「君を祝ふ ためしに植し 住吉の 松も久しき 代々の行末」と詠む。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月16日 |
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「植置し 松もかしこき 我君の ちとせかはらぬ 色を思へば」と詠む。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月16日 |
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「君がへん 千代の根ざしと かねてより 植し縁の 松ぞ木高き」と詠む。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月16日 |
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「庭にまつ 二葉の松を 移しをきて 君が千歳の 行衛かぞへむ」と詠む。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月16日 |
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「君が代の 長きためしは 松に住 鶴のちとせを そへて数へん」と詠む。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月16日 |
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「霜ののち なほあはれん 松がえの ちよの縁や 今しげる覧」と詠む。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月16日 |
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「植をける 砌の松に 君がへん 千代の行衛ぞ かねてしらるる」と詠む。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月16日 |
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「八すみしる 君がよはひも さざれ石 巌の松は ちよの行末」と詠む。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月18日 |
後陽成天皇が聚楽第(山城国)より還幸する。 |
出典:『豊鑑』巻3 |
天正16年 1588年 4月20日 |
黒田長政が城井鎮房を中津城(豊前国)に招き殺害する。 |
出典:- |
天正16年 1588年 5月2日 |
伊達政宗が石川弾正忠との手切れにつき、石川領に侵攻することを中島宗求に伝える。 |
出典:(天正16年)5月2日付伊達政宗書状(『伊達家文書』1-368号) |
天正16年 1588年 5月11日 |
蘆名盛隆の妻が死去する。 |
出典:(天正16年)5月13日付伊達政宗書状(『伊達家文書』1-370号) |
天正16年 1588年 5月12日 |
大仏殿建立につき石壇が積み上げられ、盛土が行われる。また洛中上京・下京の衆に餅・酒が下行する。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
天正16年 1588年 5月15日 |
豊臣秀吉の命により三十三間堂の北に大仏殿の地築がなる。また京の町衆による風流踊や金春・観世座の能も行われる。 |
出典:『言経卿記』『多聞院日記』同年月日条 |
天正16年 1588年 5月16日 |
豊臣秀吉が大仏殿の屋敷に赴く。上京・下京の町人に踊りを命じる。 |
出典:『北野日記』同年月日条(『北野天満宮史料』北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年) |
天正16年 1588年 5月19日 |
徳大寺公維が死去する。 |
出典:『系図纂要』「徳大寺」 |
天正16年 1588年 5月20日 |
方廣寺大仏殿の石据えが行われ、五重大柱の礎石となる大石が置かれる。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
天正16年 1588年 5月21日 |
伊達政宗が石川弾正忠が籠る小手森城(陸奥国)を攻める。石川勢は城より出てこなかったため、三之構まで攻め込み作麦を薙ぎ払う。 |
出典:(天正16年)5月22日付伊達政宗書状(『伊達家文書』1-372号) |
天正16年 1588年 5月22日 |
吉見正頼が死去する。 |
出典:- |
天正16年 1588年 5月26日 |
島津義弘が鹿児島(薩摩国)を出立する。 |
出典:(天正16年)6月6日付島津義弘書状(『島津家文書』3-1493号) |