総年表 検索


和暦 :   西暦 :   月  日 
事項 :   
出典 :   


天正15年 1587年 -月-日
北条高広が死去する。
出典:-

天正15年 1587年 -月-日
子・長幸が摂津国大坂にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第267「池田長幸」の項

天正16年 1588年 -月-日
保科正貞が信濃国高遠にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第250「保科正貞」の項

天正16年 1588年 -月-日
能勢頼隆が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第273「能勢頼隆」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第273「能勢頼隆」の項

天正16年 1588年 -月-日
駒井昌保が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第157「駒井昌保」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第157「駒井昌保」の項

天正16年 1588年 -月-日
近藤政成が生まれる。
出典:-

天正16年 1588年 1月13日
左近衛大将に任官。
出典:『系図纂要』「鷹司家」

天正16年 1588年 1月16日
伊達政宗が伊達政景・泉田重光を大将として栗野助太郎、長井月鑑、高城周防守、大松沢左衛門、宮田因幡守、飯田三郎、浜田伊豆守と、軍奉行・小山田惣右衛門、山岸修理を付し大崎攻めに遣わす。
出典:『伊達日記』上

天正16年 1588年 1月20日
肥後国一揆につき、豊臣秀吉浅野長政加藤清正小西行長率いる軍勢20000を派遣する。
出典:『黒田家譜』巻5「孝高記」

天正16年 1588年 2月12日
伊達政宗が片平・阿子島・高玉に置いていた軍勢をもって猪苗代を攻撃し、落とす。
出典:『伊達日記』上

天正16年 1588年 2月15日
名島城(筑前国)の普請を開始する。
出典:『黒田家譜』巻4「孝高記」

天正16年 1588年 3月3日
応其が造営を手掛けた室生寺龍王宮の遷座式が行われ、供養として大曼荼羅供養が執行される。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正16年 1588年 3月12日
北野社の檜皮葺の費用として、里村紹巴が黄金2枚を、孝蔵主・勧修寺晴豊・帥局が黄金1枚を、直江兼続が米100石を、薄田若狭守が銀子2枚を、中大が銀子1枚を、曲直瀬道三が銭500疋を、心前・庵叱が銭300疋を、紹府・楚仙が銭200疋を、了喜・玄仍・正祐・小梅が銭100疋を、一欧軒が米1石、文閑が銀5文目を寄進する。
出典:天正16年3月12日付北野檜皮葺奉加帳(『北野天満宮史料 古記録』北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年)

天正16年 1588年 4月1日
豊臣秀吉の召しにより尾藤知宣が大坂(摂津国)に到着する。
出典:『清正記』巻1

天正16年 1588年 4月2日
酒井忠世が従五位下・右兵衛大夫に叙位・任官。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第59「酒井忠世」の項

天正16年 1588年 4月3日
豊臣秀吉の召しにより佐々成政が大坂(摂津国)に到着する。
出典:『清正記』巻1

天正16年 1588年 4月10日
豊臣秀吉佐々成政に切腹を命じる。上使として加藤清正を成政の居る尼崎(摂津国)に遣す。
出典:『清正記』巻1

天正16年 1588年 4月14日
後陽成天皇が聚楽第(山城国)に行幸する。秀吉の前駈(右列)に石田三成大谷吉継片桐且元が、前駈(左列)に増田長盛加藤嘉明が供をする。秀吉に続き、織田信包織田長益前田利家蒲生氏郷長宗我部元親蜂屋頼隆細川忠興が、鳳輦についで織田信雄徳川家康豊臣秀次豊臣秀長近衛信輔烏丸光宣持明院基孝東坊城盛長広橋兼勝が、近衛大将の左として鷹司信房が供奉する。
出典:『多聞院日記』同年5月4日条、『豊鑑』巻3

天正16年 1588年 4月14日
後陽成天皇が聚楽第(山城国)に行幸する。
花房正成が従五位下・志摩守に叙位・任官。
出典:『多聞院日記』同年5月4日条、『豊鑑』巻3、『寛政重修諸家譜』巻第90「花房正成」の項

天正16年 1588年 4月16日
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「君も人も けふをまちえて 祝ふ也 かねて千歳を 松のことのは」と詠む。
出典:『豊鑑』巻3

天正16年 1588年 4月16日
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「相生の 松の縁も けふ更に いく千代ふべき 色もみすらむ」と詠む。
出典:『豊鑑』巻3

天正16年 1588年 4月16日
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「あきつすの 外まで靡く 国つ風 松にうつらで 声よばふらし」と詠む。
出典:『豊鑑』巻3

天正16年 1588年 4月16日
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「年経へても 変わらぬ庭の 松の葉に 契かけをく 行衛かたふな」と詠む。
出典:『豊鑑』巻3

天正16年 1588年 4月16日
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「亀の上の 山なりけりな 庭広き 池のしまねの 松の木ぶかき」と詠む。
出典:『豊鑑』巻3

天正16年 1588年 4月16日
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「代々をへん 君が恵の 深き色を 松の縁に かけて見すらむ」と詠む。
出典:『豊鑑』巻3

天正16年 1588年 4月16日
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「仰ぐ代の 人の心の たねとてや ちとせを契る 松のことの葉」と詠む。
出典:『豊鑑』巻3

天正16年 1588年 4月16日
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「動きなき 代々のためしを 引うふる 岩根の松の 色は替らじ」と詠む。
出典:『豊鑑』巻3

天正16年 1588年 4月16日
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「浪風も 吹しづまりて 松高き やまとしまねの 四方の浦々」と詠む。
出典:『豊鑑』巻3

天正16年 1588年 4月16日
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「君も臣も 心あはせて おさむてふ 代のこゑしるし 庭の松風」と詠む。
出典:『豊鑑』巻3

天正16年 1588年 4月16日
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「深縁 立そふかげは くも井まで 千とせ栄へん 庭の松がえ」と詠む。
出典:『豊鑑』巻3

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.