人 物 史

山名時氏 やまな ときうじ
生 没 年嘉元1年(1303)/-応安4年・建徳2年(1371)3/28
出 身-幼 名-
別 称小次郎
法 名-
戒 名光孝寺殿鎮国道静大禅定門
山名政氏上杉重房の娘
兄 弟 姉 妹山名時氏、山名兼義
配 偶 者-
山名師義、山名義理、山名氏冬、山名義継、山名時義、山名時治、山名氏頼、山名氏重、山名義数、山名高義
官 位伊豆守、弾正少弼、左京大夫
役 職室町幕府 引付頭人
丹波国守護 丹後国守護 美作国守護 若狭国守護 因幡国守護 出雲国守護 伯耆国守護
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ山名時氏の関連文化財
山名時氏 年表
嘉元1年 1303年 -月-日 1歳
山名時氏が生まれる。
出典:-

嘉元1年 1303年 8月5日 1歳
「乾元」より「嘉元」に年号が改まる。
出典:-

徳治1年 1306年 12月14日 4歳
「嘉元」より「徳治」に年号が改まる。
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延慶1年 1308年 10月9日 6歳
「徳治」より「延慶」に年号が改まる。
出典:-

応長1年 1311年 4月28日 9歳
「延慶」より「応長」に年号が改まる。
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正和1年 1312年 3月20日 10歳
「応長」より「正和」に年号が改まる。
出典:-

文保1年 1317年 2月3日 15歳
「正和」より「文保」に年号が改まる。
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元応1年 1319年 4月28日 17歳
「文保」より「元応」に年号が改まる。
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元亨1年 1321年 2月23日 19歳
「元応」より「元亨」に年号が改まる。
出典:-

正中1年 1324年 12月9日 22歳
「元亨」より「正中」に年号が改まる。
出典:-

嘉暦1年 1326年 4月26日 22歳
「正中」より「嘉暦」に年号が改まる。
出典:-

元徳1年 1329年 8月29日 27歳
「嘉暦」より「元徳」に年号が改まる。
出典:-

元弘1年 1331年 8月9日 29歳
「元徳」より「元弘」に年号が改まる。
出典:-

正慶1年 1332年 4月28日 30歳
「元弘」より「正慶」に年号が改まる。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 閏2月26日 31歳
後醍醐天皇が片見(伯耆国)に移る。後醍醐天皇に供奉していた成田が名和長高の館に赴き、長高に後醍醐天皇に味方するようつたえる詔勅を渡す。長高は詔勅に応じ、後醍醐天皇を船上山まで警固し、船上山にて挙兵する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 4月27日 31歳
足利高氏が篠村(丹波国)にて幕府方から後醍醐天皇方に寝返る。
出典:『梅松論』、『関城書裏書』

正慶2年 1333年 5月7日 31歳
護良親王、千草忠顕、赤松円心、良忠が六波羅探題館を攻める。北条仲時・北条時益は関東に逃れるべく光厳天皇・後伏見上皇・花園上皇とともに京都を脱す。
出典:『桜雲記』巻之上

元弘3年 1333年 6月7日 31歳
後醍醐天皇が大内裏に還幸する。元号を正慶から元弘に戻す。
出典:『関城書裏書』

建武2年 1335年 7月-日 33歳
信濃国で蜂起した北条時行が鎌倉(相模国)に攻め込む。成良親王足利直義は応戦するも支えきれず鎌倉を退く。成良親王は大江時古に抱えらえ帰洛する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

建武2年 1335年 8月2日 33歳
北条時行に攻められた足利直義を救うため足利尊氏が出京する。近江国野路に到着する。
出典:『関城書裏書』、足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 8月17日 33歳
箱根(相模国)にて足利尊氏と北条時行勢が戦い、尊氏が勝利する。
出典:足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 8月18日 33歳
相模川の合戦で足利尊氏と北条時行が戦い、尊氏が勝利する。
出典:『関城書裏書』足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 8月19日 33歳
足利尊氏が鎌倉(相模国)に到着する。辻堂・片瀬原の合戦で足利尊氏と北条時行が戦い、尊氏が勝利する。
出典:足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 12月13日 33歳
箱根・竹ノ下の合戦で足利尊氏と尊良親王・新田義貞が戦い、尊氏が勝利する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 2月29日 34歳
「建武」より「延元」に年号を改める。
出典:『桜雲記』巻之上、『大乗院日記目録』同年月条

延元1年 1336年 5月25日 34歳
湊川(摂津国)にて足利尊氏新田義貞が戦い、尊氏が勝利する。楠木正成が戦死する。
出典:-

延元3年 1338年 5月22日 36歳
石津の合戦で北畠顕家が高師直と戦い、師直が勝利する。顕家は阿倍野にて戦死する。
出典:『桜雲記』巻之中

延元3年 1338年 閏7月2日 36歳
藤島(越前国)にて新田義貞斯波高経の軍勢に遭遇し戦死する。
出典:『桜雲記』巻之中

暦応2年・延元4年 1339年 8月16日 37歳
後醍醐天皇が崩御する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

貞和4年・正平3年 1348年 1月5日 46歳
四条畷(河内国)にて高師直と楠木正行が戦い、師直が勝利する。正行・正時兄弟が戦死する。
出典:-

貞和5年・正平4年 1349年 8月24日 47歳
足利直義が高師直により出家・隠居させられる。直義は恵源と名乗る。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応1年 1350年 12月9日 48歳
足利直義が南朝に降伏する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応2年・正平6年 1351年 7月30日 49歳
足利直義が京を抜け北陸に落ちる。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応2年・正平6年 1351年 10月8日 49歳
足利直義が鎌倉(相模国)に着く。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応2年・正平6年 1351年 12月15日 49歳
薩唾山の合戦で足利尊氏足利直義が戦い尊氏が勝利する。直義は尊氏に降伏する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応3年・正平7年 1352年 2月26日 50歳
足利直義が死去する。毒殺が噂される。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延文3年・正平13年 1358年 4月29日 56歳
足利尊氏が死去する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

貞治6年・正平22年 1367年 9月7日 65歳
「中国大将」細川頼之が大軍を率い上洛し嵯峨(山城国)に陣取る。
出典:『師守記』同年月日条

貞治6年・正平22年 1367年 9月14日 65歳
「中国大将」細川頼之が嵯峨(山城国)より六角万里小路に移る。
出典:『師守記』同年月日条

貞治6年・正平22年 1367年 9月9日 65歳
細川頼之が「武家執事」として上洛したと噂される。また、頼之の上洛を受け、山名時氏が不満を募らせており、いずれ「天下之乱」が生じるのではと世間で噂される。
出典:『後愚昧記』同年月日条

貞治6年・正平22年 1367年 11月25日 65歳
足利義詮が政務を子・義満に譲り、細川頼之を管領とする。
出典:『愚管記』同年月26日条

貞治6年・正平22年 1367年 12月7日 65歳
足利義詮が死去する。
出典:-

正平23年 1368年 3月11日 66歳
後村上天皇が崩御する。
出典:-

応安3年・建徳1年 1370年 7月24日 68歳
「正平」より「建徳」に南朝の年号が改まる。
出典:-

応安4年・建徳2年 1371年 3月28日 69歳
山名時氏が死去する。
出典:-

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