人 物 史

飯川信堅 いがわ のぶかた
生 没 年?-?
出 身-幼 名-
別 称-
法 名-
戒 名-
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兄 弟 姉 妹-
配 偶 者沼田光兼の娘
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官 位山城守
役 職室町幕府 御走衆
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
飯川信堅 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
-----飯川信堅が生まれる。-
天文19年155051-足利義晴は自身の病が悪化したため、上野信孝伊勢貞孝三淵晴員飯川信堅大舘晴光摂津元造を召し、怨敵である三好長慶を退治し子・義藤を上洛させるようにと遺言を残す。『足利季世記』巻4「前将軍薨逝ノ事」
天文19年155054-辰刻(7-9時)、足利義晴が死去する。『言継卿記』同年月日条
永禄13年1570127-飛鳥井雅春が歌会を催す。参加者は中山孝親、四辻、山科言継山科言経、三条実澄、飛鳥井雅敦、鑑林、細川藤孝一色藤長飯川信堅、曽我助乗。『言継卿記』同年月日条
永禄13年157025-足利義昭が御所にて初卯の八幡御法楽連歌会を催す。参会者は聖護院道澄、大覚寺義性、三条実澄、山科言継飛鳥井雅敦、不断光院清誉、細川藤孝飯川信堅、上野輝加、曽我助乗、飯川秋共、春阿弥で、執筆者は覚勝院の児子である松千代。『言継卿記』同年月日条
-----飯川信堅が死去する。-
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