人 物 史

柴田勝豊 しばた かつとよ
生 没 年?-天正11年(1583)4/16
出 身-幼 名-
別 称伊介
法 名-
戒 名-
吉田次兵衛
柴田勝家[養父]
柴田勝家の姉
兄 弟 姉 妹柴田勝政[義兄弟]、柴田勝豊、柴田勝敏[義兄弟]、柴田勝之
配 偶 者稲葉貞通の娘
-
官 位伊賀守
役 職-
城 郭丸岡城(越前国)、長浜城(近江国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ柴田勝豊の関連文化財
柴田勝豊 年表
天正9年 1581年 2月24日 
柴田勝家柴田勝豊、柴田三左衛門尉が越前国より上洛し、織田信長に太刀(銘 国光)、馬代銀1000両、金300両、蝋燭1000挺、奉書紙1000束、綿1000把、絹500疋を進上する。信長は茶会にて勝家をもてなす。勝家は茶釜(銘 姥口)を所望し、信長手渡しで勝家に茶釜を賜う。
出典:『信長公記』巻14(1)「御爆竹の事」、『当代記』巻2同年月日条

天正9年 1581年 2月28日 
織田信長が京都にて馬揃を行う。正親町天皇が閲覧できるよう内裏の東に南北8町の馬場を、禁裏東門築地の外に行宮を設える。信長は、辰刻(7-9時)、本能寺を出立し、室町通を上って一条を東に曲がり馬場へと入場する。参列者は、一番に丹羽長秀・摂津衆・若狭衆・革島氏、二番に蜂屋頼隆・河内衆・和泉衆・根来寺の内衆の大ヶ塚・佐野衆、三番に明智光秀・大和衆・上山城衆、四番に村井作右衛門・根来衆・上山城衆、次いで連枝衆として織田信忠・美濃衆・尾張衆、北畠信雄・伊勢衆、織田信包織田信孝津田信澄織田長益、織田又十郎、織田勘七郎、中根、織田竹千代、織田周防、織田孫十郎、公家衆として近衛前久正親町実彦烏丸光宣・日野中納言・高倉右衛門佐、細川昭元、細川藤賢、伊勢兵庫頭、一色左京権大夫、小笠原、越前衆として柴田勝家・柴田勝豊・柴田三左衛門・不破光治前田利家金森長近原長頼
出典:『多聞院日記』同年月日条、『信長公記』巻14(2)御馬揃への事

天正11年 1583年 4月16日 
柴田勝豊東福寺にて死去する。
出典:-

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