人 物 史

細川藤賢 ほそかわ ふじかた
生 没 年永正14年(1517)-天正18年(1590)7/23
出 身-幼 名-
別 称四郎、和匡
法 名-
戒 名-
細川尹賢-
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者-
細川元賢
官 位右馬頭
役 職室町幕府 御供衆
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ史料にみえる細川藤賢の呼称
細川藤賢 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
永正14年1517--1細川藤賢が生まれる。-
天文10年1541121225細川晴元の摂津国出陣につき本願寺証如が晴元に音信として太刀1腰、5種10荷、細川藤賢に太刀1腰・3種5荷、三好長慶・波多野備前・三好政長に太刀1腰・綿10把、高畠長直に綿3把、藤賢取次の小河民部丞に太刀1腰・綿3把を送る。使者は八尾新四郎。『天文日記』同年月日条、(天文10年)12月10日付本願寺証如書状案(『戦国遺文』三好氏編第1巻-159号『天文書札案』)
天文12年154371127細川氏綱藤賢兄弟が本願寺証如に書状を送る。『天文日記』同年月日条
天文12年154371427本願寺証如細川氏綱藤賢兄弟に返状を送る。『天文日記』同年月日条
天文12年15438327細川氏綱藤賢兄弟が本願寺証如に出陣につき、和泉国・紀伊国にて氏綱方として一向一揆を起こしてほしいこと、兵粮を借用したい旨を書状にて伝える。『天文日記』同年月日条
天文12年15438627本願寺証如が、8月3日に細川氏綱藤賢兄弟より依頼のあった和泉国・紀伊国における一向一揆蜂起と兵粮借用の件を断る旨を氏綱に伝える。『天文日記』同年月日条
天文12年154392327本願寺証如細川氏綱藤賢兄弟、長塩又四郎、赤沢又三郎に音信を遣わす。『天文日記』同年月日条
天文12年154310127細川氏綱藤賢兄弟、長塩又四郎、赤沢又三郎が9月23日の本願寺証如に対する返事を出す。『天文日記』同年月日条
天文15年1546102130三好長慶細川藤賢の拠る中島(摂津国)に攻め込む。『私心記』同年月日条
天文21年155222636細川氏綱細川藤賢が上洛し足利義藤に出仕する。三好長慶が御供衆として出仕する。『言継卿記』同年月日条、『足利季世記』巻5「公方三好和談之事」
天文21年155222936足利義藤が参内する。御供衆として細川藤賢三好長慶を随伴する。『言継卿記』同年月日条
永禄13年15702254足利義昭が参内する。伊丹親興が3000の兵で辻固めを勤める。御供衆の細川藤賢細川藤孝・伊勢三郎、同朋衆の春阿弥・祐阿弥、御走衆の飯川弥四郎・槙島孫六・安威兵部少輔・後藤治部少輔・沼田弥四郎・沼田弥七郎、奉行衆の諏訪信濃守・飯尾右馬助が供奉する。『言継卿記』『晴右記』同年月日条
永禄13年15703354畠山昭高畠山高政三好義長、御供衆の細川藤賢・大舘輝光・大舘晴忠・一色藤長・一色播磨守・畠山播磨守・伊勢三郎・松永久通足利義昭のもとに礼に訪れる。『言継卿記』同年月日条
元亀2年157151955相国寺光源院(足利義輝菩提寺)にて燃香が行われる。義昭は焼香のため参列する。細川藤賢、上野佐渡守、伊勢三郎、歳阿弥、間下式部少輔、安威兵部少輔、朽木左兵衛尉、松田監物、後藤治部少輔、間下宮内少輔、松田豊前守、松田主計允が随従する。『言継卿記』同年月日条
天正9年158122865織田信長が京都にて馬揃を行う。正親町天皇が閲覧できるよう内裏の東に南北8町の馬場を、禁裏東門築地の外に行宮を設える。信長は、辰刻(7-9時)、本能寺を出立し、室町通を上って一条を東に曲がり馬場へと入場する。参列者は、一番に丹羽長秀・摂津衆・若狭衆・革島氏、二番に蜂屋頼隆・河内衆・和泉衆・根来寺の内衆の大ヶ塚・佐野衆、三番に明智光秀・大和衆・上山城衆、四番に村井作右衛門・根来衆・上山城衆、次いで連枝衆として織田信忠・美濃衆・尾張衆、北畠信雄・伊勢衆、織田信包織田信孝津田信澄織田長益、織田又十郎、織田勘七郎、中根、織田竹千代、織田周防、織田孫十郎、公家衆として近衛前久正親町実彦烏丸光宣・日野中納言・高倉右衛門佐、細川昭元、細川藤賢、伊勢兵庫頭、一色左京権大夫、小笠原、越前衆として柴田勝家・柴田勝豊・柴田三左衛門・不破光治前田利家金森長近原長頼『多聞院日記』同年月日条、『信長公記』巻14(2)御馬揃への事
天正18年159072374細川藤賢が死去する。-
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