人 物 史

細川高久 ほそかわ たかひさ
生 没 年?-?
出 身-幼 名-
別 称-
法 名-
戒 名-
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兄 弟 姉 妹-
配 偶 者-
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官 位伊豆守
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
細川高久 年表
- -年 -月-日 
細川高久が生まれる。
出典:-

天文5年 1536年 1月1日 
山科言継が、大舘尚氏大舘晴光、大舘兵庫頭、大舘治部大輔、大舘弥三郎、上野与三郎、千秋将監、彦部又四郎、朝日孫右衛門、荒川氏隆本郷光泰、本郷三郎、小笠原民部少輔、一色式部少輔、海老名高助、海老名二郎、細川高久、細川刑部少輔、飯川彦九郎のもとに礼に赴く。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文5年 1536年 9月2日 
足利義晴が隠居を表明し、子・菊童丸に家督を譲る。政務について、奉行衆として大舘常興大舘晴光摂津元造細川高久海老名高助本郷光泰荒川氏隆朽木稙綱を指名する。
出典:『巌助往年記』同年月日条

天文7年 1538年 9月1日 
六条八幡宮に納める御馬代1疋について御倉 正実坊にいるものを送ってはと大舘尚氏が宮内卿局に問い合わせたところ問題ないとの返答を受けたので治部河内守が正実坊のもとにその旨を伝えることを細川高久へ折紙をもって伝える。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文7年 1538年 9月1日 
大舘尚氏のもとに細川高久が訪れる。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文7年 1538年 9月8日 
細川高久細川晴元による山城国段銭賦課について奉公衆の所領を免除するようにとする御内書の作成を大舘常興に依頼し、案文を受け取る。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文8年 1539年 11月13日 
六角定頼義賢父子が伊勢貞孝邸を訪れる。貞孝は観世能にてもてなす。藤宰相、大舘晴光、上野与三郎、細川高久海老名高助、永田景弘、飯川彦九郎、祐乗坊、蜷川親俊、青地、下笠、三雲、蒲生定秀が相伴する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文11年 1542年 2月21日 
足利義晴細川晴元の戦勝祈願の祈祷料を京中諸土倉に賦課する。担当は細川高久
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文11年 1542年 3月8日 
摂津元造細川高久大舘常興のもとを訪れ、禁裏より内裏修復のことについて、用木を清水山より切り出すこと、また山科郷内の神木3本を三宝院より買い取ることについて、足利義晴からの諮問があったため常興に相談する。常興は、そのように下知をすればよいとの返答する。高久は手日記にその旨を記載し、元造と常興の署判を得る。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文11年 1542年 閏3月23日 
足利義晴細川高久を通じて堀普請を命じる。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

- -年 -月-日 
細川高久が死去する。
出典:-

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