人 物 史

吉田兼右 よしだ かねみぎ
生 没 年永正13年(1516)4/20-元亀4年(1573)1/10
出 身-幼 名-
別 称-
法 名唯神霊神[神名]
戒 名-
清原宣賢
吉田兼満[養父]
-
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者-
吉田兼見、梵舜
官 位侍従、神祇大副、右兵衛督
氏 族 門 流卜部氏流吉田家
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
吉田兼右 年表
永正13年 1516年 4月20日 1歳
吉田兼右が生まれる。
出典:-

大永1年 1521年 8月23日 6歳
「永正」より「大永」に年号が改まる。
出典:-

享禄1年 1528年 8月20日 13歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
出典:-

享禄5年 1532年 4月12日 17歳
三好開運吉田兼右に吉田社領を安堵状を発給する。
出典:『兼右卿記』同年月12月24日条(『ビブリア』150号)

享禄5年 1532年 7月11日 17歳
薬師寺国長が北白川(山城国)の吉田社領地子銭について違乱する藤田源介の違乱を止める書状を北白川百姓中および藤田源介に発給する。国長の本件に関する書状発給は、国長が細川晴元の申次で晴元が幼少のため、晴元の代理としてしたもの。
出典:『兼右卿記』同年月12月24日条(『ビブリア』150号)

天文1年 1532年 7月29日 17歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
出典:-

天文1年 1532年 10月5日 17歳
吉田兼右が薬師寺国長のもとに赴く。
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』150号)

天文1年 1532年 11月9日 17歳
三淵晴員吉田兼右、神光院、周郝、吉田四郎が清水寺に参詣する。
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』150号)

天文1年 1532年 12月25日 17歳
14-15日にで発生した火災が、堺北荘1町残す程、堺南荘は1/3が焼失する程の被害であったことを猪熊が吉田兼右に伝える。
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』150号)

天文3年 1534年 1月17日 19歳
吉田兼右清水寺に参詣する。
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』153号)

天文3年 1534年 1月28日 19歳
吉田兼右が桑実寺(近江国)にいる足利義晴のもとに礼に赴く。
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』153号)

天文3年 1534年 1月29日 19歳
吉田兼右六角定頼のもとに赴く。定頼は2、3日酒を大いに飲み酔った状態であるという。兼右には六角義賢が応対する。
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』153号)

弘治1年 1555年 10月23日 40歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 43歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄9年 1566年 4月21日 51歳
矢島(近江国)にて一乗院覚慶が還俗し足利義秋と名乗る。左馬頭に任じられる。朝廷へは伝奏を経ず吉田兼右を通じて報告をする。
出典:『言継卿記』同年月日条

元亀1年 1570年 4月23日 55歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀2年 1571年 1月21日 56歳
吉田兼右が志賀(近江国)にいる明智光秀を見舞う。
出典:『兼見卿記』同年月日条

元亀3年 1572年 4月2日 57歳
吉田兼右織田信長のもとへ礼に訪れるも対面せず。
出典:『兼見卿記』同年月日条

元亀3年 1572年 4月3日 57歳
織田信長のもとへ礼に吉田兼右が訪れる。明智光秀の執り成しにより兼右は信長との対面が叶う。信長は兼右に金子1枚を遣わす。
出典:『兼見卿記』同年月日条

元亀3年 1572年 6月5日 57歳
坂本(近江国)にいる明智光秀のもとに吉田兼右が訪れる。
出典:『兼見卿記』同年月日条

元亀3年 1572年 10月22日 57歳
吉田兼見が病の父・兼右の薬について施薬院全宗に相談するため訪れる。全宗は薬を調合して兼見に渡す。
出典:『兼見卿記』同年月日条

元亀3年 1572年 11月26日 57歳
細川藤孝が吉田兼見のもとを訪れる。その後、坂本(近江国)に向かう。
藤孝が吉田兼右の堂上免許を足利義昭に取り次ぎ免許を得る。
出典:『兼見卿記』同年月日条

元亀4年 1573年 1月10日 58歳
吉田兼右が死去する。
出典:-

元亀4年 1573年 3月6日 
吉田兼見が足利義昭のもとを訪れ、鍬を進上する。松田監物が披露する。兼見と対面する。亡くなった吉田兼右のことついて話をする。
出典:『兼見卿記』同年月日条

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