人 物 史

脇屋義助 わきや よしすけ
生 没 年嘉元3年(1305)-康永1年・興国3年(1342)5/11
出 身-幼 名-
別 称小次郎
法 名-
戒 名-
新田朝氏-
兄 弟 姉 妹新田義貞脇屋義助、女(大館宗氏の妻)
配 偶 者-
脇屋義治、娘(世尊寺行俊の妻)
官 位左衛門佐、駿河守、伊予守、兵庫助、刑部卿、左馬権頭、弾正大弼
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ脇屋義助の関連文化財
脇屋義助 年表
嘉元3年 1305年 -月-日 1歳
脇屋義助が生まれる。
出典:-

徳治1年 1306年 12月14日 2歳
「嘉元」より「徳治」に年号が改まる。
出典:-

延慶1年 1308年 10月9日 4歳
「徳治」より「延慶」に年号が改まる。
出典:-

応長1年 1311年 4月28日 7歳
「延慶」より「応長」に年号が改まる。
出典:-

正和1年 1312年 3月20日 8歳
「応長」より「正和」に年号が改まる。
出典:-

文保1年 1317年 2月3日 13歳
「正和」より「文保」に年号が改まる。
出典:-

元応1年 1319年 4月28日 15歳
「文保」より「元応」に年号が改まる。
出典:-

元亨1年 1321年 2月23日 17歳
「元応」より「元亨」に年号が改まる。
出典:-

正中1年 1324年 12月9日 20歳
「元亨」より「正中」に年号が改まる。
出典:-

嘉暦1年 1326年 4月26日 20歳
「正中」より「嘉暦」に年号が改まる。
出典:-

元徳1年 1329年 8月29日 25歳
「嘉暦」より「元徳」に年号が改まる。
出典:-

元弘1年 1331年 8月9日 27歳
「元徳」より「元弘」に年号が改まる。
出典:-

正慶1年 1332年 4月28日 28歳
「元弘」より「正慶」に年号が改まる。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 閏2月26日 29歳
後醍醐天皇が片見(伯耆国)に移る。後醍醐天皇に供奉していた成田が名和長高の館に赴き、長高に後醍醐天皇に味方するようつたえる詔勅を渡す。長高は詔勅に応じ、後醍醐天皇を船上山まで警固し、船上山にて挙兵する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 4月27日 29歳
足利高氏が篠村(丹波国)にて幕府方から後醍醐天皇方に寝返る。
出典:『梅松論』、『関城書裏書』

正慶2年 1333年 5月22日 29歳
新田義貞が幕府の拠点である鎌倉(相模国)を制圧する。北条高時北条基時が自害する。
出典:『関城書裏書』

正慶2年 1333年 5月-日 29歳
護良親王が征夷大将軍となる。
出典:『桜雲記』巻之上

元弘3年 1333年 6月7日 29歳
後醍醐天皇が大内裏に還幸する。元号を正慶から元弘に戻す。
出典:『関城書裏書』

建武1年 1334年 11月5日 30歳
後醍醐天皇護良親王を謀叛の罪で捕え鎌倉(相模国)に配流する。
出典:『関城書裏書』

建武2年 1335年 7月23日 31歳
護良親王が鎌倉(相模国)の牢獄にて淵辺義博に討たれる。
出典:『桜雲記』巻之上

建武2年 1335年 7月-日 31歳
信濃国で蜂起した北条時行が鎌倉(相模国)に攻め込む。成良親王足利直義は応戦するも支えきれず鎌倉を退く。成良親王は大江時古に抱えらえ帰洛する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

建武2年 1335年 8月2日 31歳
北条時行に攻められた足利直義を救うため足利尊氏が出京する。近江国野路に到着する。
出典:『関城書裏書』、足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 8月17日 31歳
箱根(相模国)にて足利尊氏と北条時行勢が戦い、尊氏が勝利する。
出典:足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 8月18日 31歳
相模川の合戦で足利尊氏と北条時行が戦い、尊氏が勝利する。
出典:『関城書裏書』足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 8月19日 31歳
足利尊氏が鎌倉(相模国)に到着する。辻堂・片瀬原の合戦で足利尊氏と北条時行が戦い、尊氏が勝利する。
出典:足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 12月13日 31歳
箱根・竹ノ下の合戦で足利尊氏と尊良親王・新田義貞が戦い、尊氏が勝利する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

建武3年 1336年 1月30日 32歳
後醍醐天皇が京都に還幸する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

建武3年 1336年 2月13日 32歳
桜山にて足利尊氏足利直義兄弟と新田義貞北畠顕家楠木正成が戦い、新田勢が勝利する。尊氏・直義は九州に逃れる。
出典:『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 2月29日 32歳
「建武」より「延元」に年号を改める。
出典:『桜雲記』巻之上、『大乗院日記目録』同年月条

延元1年 1336年 5月25日 32歳
湊川(摂津国)にて足利尊氏新田義貞が戦い、尊氏が勝利する。楠木正成が戦死する。
出典:-

延元1年 1336年 5月27日 32歳
後醍醐天皇延暦寺に行幸する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延元1年 1336年 6月30日 32歳
京都(山城国)に足利尊氏勢が攻め入り、名和長年が応戦するも戦死する。
出典:-

延元1年 1336年 10月10日 32歳
後醍醐天皇延暦寺より京都に還幸する。帝位を恒良親王に譲位する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

建武4年 1337年 3月-日 33歳
北朝勢が新田義貞の籠る金ヶ崎城(越前国)を攻め、同城を落とす。新田義顕、尊良親王が自害する。
出典:『桜雲記』巻之中

延元3年 1338年 1月-日 34歳
青野原(美濃国)にて北畠顕家と土岐頼遠・上杉憲顕・今川範国・吉良満義・高師兼が戦い、顕家が勝利する。
出典:『桜雲記』巻之中

延元3年 1338年 5月22日 34歳
石津の合戦で北畠顕家が高師直と戦い、師直が勝利する。顕家は阿倍野にて戦死する。
出典:『桜雲記』巻之中

延元3年 1338年 閏7月2日 34歳
藤島(越前国)にて兄・義貞斯波高経の軍勢に遭遇し戦死する。
出典:『桜雲記』巻之中

暦応2年・延元4年 1339年 8月15日 35歳
後醍醐天皇義良親王に譲位する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

暦応2年・延元4年 1339年 8月16日 35歳
後醍醐天皇が崩御する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

暦応2年・延元4年 1339年 10月15日 35歳
後村上天皇が即位する。
出典:『大乗院日記目録』

康永1年・興国3年 1342年 5月11日 38歳
伊予国にて脇屋義助が死去する。
出典:『桜雲記』巻之中

人物リストに戻る

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.