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城 郭 史
日野山城(安芸国)
ひのやまじょう
築 城 年
-
築 城 者
吉川元春
改 築 年
-
改 築 者
-
廃 城 年
天正19年 1591年
別 称
火野山城、日山城
現 所 在 地
〒731-2103
広島県山県郡北広島町新庄
史 料 地 名
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
リ ン ク
吉川元春
、
吉川元長
、
吉川広家
日野山城(安芸国) 年表
天文23年 1554年 5月12日
毛利元就
、
毛利隆元
、
吉川元春
、
小早川隆景
が神領(安芸国)を放火する。村田入道、杉生彦太郎が五日市(安芸国)に出る。五日市にて元就、
熊谷信直
、飯田義武と村田・杉生が戦い、元就が勝利する。
出典:『陰徳太平記』巻24「毛利元就被攻芸州所々城事」
天文23年 1554年 5月18日
毛利元就
、
毛利隆元
、
吉川元春
、
小早川隆景
が佐東郡に攻め入る。元就は井上就方を
佐東銀山城
(安芸国)城主の栗田時勝、小城の麻生鎮里のもとに遣わし開城を促す。時勝、鎮里は元就に城を明け渡す。
出典:『陰徳太平記』巻24「毛利元就被攻芸州所々城事」
天文24年 1555年 10月1日
厳島(安芸国)に滞在中の
陶晴賢
を
毛利元就
が急襲し、晴賢は自害する。
出典:『言延覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年)、『二宮佐渡覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収)、『陰徳太平記』巻27「毛利元就厳島渡海付同所合戦事」、同巻28「陶全羨最後之事」
弘治4年 1558年 2月17日
出羽(石見国)にて
本城常光
・
小笠原長雄
・牛尾幸清・湯惟宗・
宇山久兼
と
吉川元春
・出羽元祐・
杉原盛重
・
福屋隆兼
が戦う。
出典:『陰徳太平記』巻31「石州出羽合戦之事」
永禄1年 1558年 4月晦日日
吉川元春
、
益田藤兼
、佐波秀連、
杉原盛重
、
福屋隆兼
が
小笠原長雄
の所領・温湯(石見国)の在所を放火する。その火が、長雄館にも引火する。元春は長雄勢を攻め、長雄は温湯城(石見国)に撤退する。
出典:『陰徳太平記』巻31「小笠原館放火付温湯城取巻事」
永禄1年 1558年 5月20日
毛利元就
、
毛利隆元
、
小早川隆景
率いる毛利勢7000が
小笠原長雄
の籠る
温湯城
(石見国)を攻めるべく出陣する。
出典:『陰徳太平記』巻31「小笠原館放火付温湯城取巻事」
永禄1年 1558年 5月24日
毛利元就
、
毛利隆元
、
吉川元春
、
小早川隆景
、
益田藤兼
、佐波秀連、
杉原盛重
、
福屋隆兼
、宍戸隆家、
熊谷信直
、
天野隆重
、出羽元祐率いる毛利勢12000が
小笠原長雄
の籠る
温湯城
(石見国)を包囲する。
出典:『陰徳太平記』巻31「小笠原館放火付温湯城取巻事」
永禄1年 1558年 5月29日
小笠原長雄
の籠る
温湯城
(石見国)を攻めるにあたり、
毛利隆元
が笠取山に、
吉川元春
が温湯城・赤城間に、
小早川隆景
が小栖山に陣取る。
温湯城(石見国)-赤城間に陣取る
吉川元春
が、赤城の小笠原勢を攻めると思いこんだ小笠原長雄が、加勢として旗谷に勢を出す。元春は応戦し、小笠原勢を破る。
出典:『陰徳太平記』巻31「小笠原館放火付温湯城取巻事」
永禄1年 1558年 6月1日
吉川元春
が、赤城に陣取る小笠原勢を攻める。小笠原勢は
温湯城
(石見国)に撤退する。
出典:『陰徳太平記』巻31「小笠原館放火付温湯城取巻事」
元亀2年 1571年 8月25日
吉川元春
、宍戸隆家、口羽通良、
杉原盛重
、南条元清、三沢為清、三刀屋久扶等の軍勢7000が、
尼子勝久
の籠る新山城(出雲国)を攻める。勝久は城より脱出し、隠岐国に逃れる。
出典:『陰徳太平記』巻48「山中鹿助出奔付尼子勝久逃走於隠州之事」
天正7年 1579年 2月-日
毛利輝元
、
吉川元春
、
吉川元長
、
吉川広家
、
小早川隆景
率いる毛利勢40000が
宇喜多直家
領の美作国に向けて出陣する。
出典:『陰徳太平記』巻第61「毛利三家作州発向付処々城没落之事」
天正7年 1579年 9月12日
毛利輝元
、
吉川元春
、
吉川元長
、
吉川広家
、
小早川隆景
率いる毛利勢が宇喜多家の小寺畑城(美作国)を攻め落とす。
出典:『陰徳太平記』巻第61「毛利三家作州発向付処々城没落之事」
天正7年 1579年 9月16日
毛利輝元
、
吉川元春
、
吉川元長
、
吉川広家
、
小早川隆景
率いる毛利勢が宇喜多家の大寺畑城(美作国)を包囲する。
出典:『陰徳太平記』巻第61「毛利三家作州発向付処々城没落之事」
天正14年 1586年 8月10日
吉川元春
、
小早川隆景
が
島津義久
討伐のため安芸国を出陣する。
出典:『黒田家譜』巻3「孝高記」
天正14年 1586年 11月15日
吉川元春
が小倉(豊前国)にて死去する。
出典:『黒田家譜』巻3「孝高記」
天正15年 1587年 6月5日
吉川元長
が日向国にて死去する。
出典:-
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