人 物 史

益田藤兼 ますだ ふじかね
生 没 年享禄2年(1529)-慶長1年(1596)12/1
出 身-幼 名-
別 称次郎
法 名-
戒 名大薀全鼎大居士
益田尹兼-
兄 弟 姉 妹益田藤兼、益田兼任、女(寺戸氏の妻)
配 偶 者杉興重の娘、石津経頼の娘、内藤隆春の娘
益田少輔若丸、益田元祥、娘(宍道政慶の妻)
官 位右衛門佐、越中守、治部大輔、侍従
役 職-
城 郭-
参 考 文 献益田藤兼に関する参考文献
関 連 デ ー タ-
益田藤兼 年表
享禄2年 1529年 -月-日 1歳
益田藤兼が生まれる。
出典:-

天文1年 1532年 7月29日 4歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
出典:-

天文10年 1541年 11月13日 13歳
尼子経久が死去する。
出典:-

天文12年 1543年 5月7日 15歳
大内義隆が椋羅木山(出雲国)の本陣を払い、湯谷より船にて山口(周防国)に撤退せんとする。義隆の養子・晴持が海路にて周防国に帰国する最中、船が転覆して溺死する。
出典:『陰徳太平記』巻14「大内義隆朝臣殿軍付晴持最後之事」、『大内義隆記』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収)

天文24年 1555年 10月1日 27歳
厳島(安芸国)に滞在中の陶晴賢毛利元就が急襲し、晴賢は自害する。
出典:『言延覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年)、『二宮佐渡覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収)、『陰徳太平記』巻27「毛利元就厳島渡海付同所合戦事」、同巻28「陶全羨最後之事」

弘治1年 1555年 10月23日 27歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 30歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄1年 1558年 4月晦日日 30歳
吉川元春益田藤兼、佐波秀連、杉原盛重福屋隆兼小笠原長雄の所領・温湯(石見国)の在所を放火する。その火が、長雄館にも引火する。元春は長雄勢を攻め、長雄は温湯城(石見国)に撤退する。
出典:『陰徳太平記』巻31「小笠原館放火付温湯城取巻事」

永禄1年 1558年 5月20日 30歳
毛利元就毛利隆元小早川隆景率いる毛利勢7000が小笠原長雄の籠る温湯城(石見国)を攻めるべく出陣する。
出典:『陰徳太平記』巻31「小笠原館放火付温湯城取巻事」

永禄1年 1558年 5月24日 30歳
毛利元就毛利隆元吉川元春小早川隆景益田藤兼、佐波秀連、杉原盛重福屋隆兼、宍戸隆家、熊谷信直天野隆重、出羽元祐率いる毛利勢12000が小笠原長雄の籠る温湯城(石見国)を包囲する。
出典:『陰徳太平記』巻31「小笠原館放火付温湯城取巻事」

永禄1年 1558年 5月29日 30歳
小笠原長雄の籠る温湯城(石見国)を攻めるにあたり、毛利隆元が笠取山に、吉川元春が温湯城・赤城間に、小早川隆景が小栖山に陣取る。
温湯城(石見国)-赤城間に陣取る吉川元春が、赤城の小笠原勢を攻めると思いこんだ小笠原長雄が、加勢として旗谷に勢を出す。元春は応戦し、小笠原勢を破る。
出典:『陰徳太平記』巻31「小笠原館放火付温湯城取巻事」

永禄1年 1558年 6月1日 30歳
吉川元春が、赤城に陣取る小笠原勢を攻める。小笠原勢は温湯城(石見国)に撤退する。
出典:『陰徳太平記』巻31「小笠原館放火付温湯城取巻事」

永禄3年 1560年 12月24日 32歳
尼子晴久が死去する。
出典:-

永禄6年 1563年 8月4日 35歳
毛利隆元が佐々部(安芸国)にて死去する。
出典:『桂岌円覚書』

永禄9年 1566年 11月21日 38歳
尼子義久毛利元就に降伏する。
出典:-

永禄11年 1568年 2月-日 40歳
益田元祥が元服のため吉田郡山城(安芸国)の毛利元就のもとを訪れる。満願寺(安芸国)にて能が催される。
出典:『桂岌円覚書』

永禄11年 1568年 11月5日 40歳
吉川元春小早川隆景が長野兵部太輔の籠る三ツ嶽城(豊前国)を攻め、同城を落とす。元春配下として城攻めに参加する。
出典:『陰徳記』巻42「豊前国三ツ嶽没落之事」

永禄12年 1569年 10月15日 41歳
吉川元春小早川隆景、宍戸隆家、福原貞俊桂元澄、志道広好、吉見正頼、三沢為清、三刀屋久扶、益田藤兼杉原盛重熊谷信直等からなる毛利勢が、立花山城(筑前国)からの撤退を開始する。
出典:『陰徳太平記』巻45「元春隆景立花退陣之事」

永禄13年 1570年 2月14日 42歳
布部山(出雲国)にて毛利輝元吉川元春小早川隆景率いる毛利勢と山中幸盛・立原久綱率いる尼子勢が戦い、毛利勢が勝利する。毛利勢は細迫左京亮、児玉弥七郎、粟屋元光、田門右衛門尉が、尼子勢は真木与一、隠岐清実、寺本四郎三郎、東藤八、金尾半四郎、飛石孫太夫、横道正光が戦死する。この戦いに毛利勢として参加する。
出典:『陰徳太平記』巻46「出雲国布弁合戦之事」

元亀1年 1570年 4月23日 42歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀1年 1570年 10月3日 42歳
尼子勝久が末次城(出雲国)を攻める。
勝久の末次城攻撃を月山富田城(出雲国)で聞いた吉川元春が末次城救援のため月山富田城を発つ。途中、杉原盛重、南条元清、三刀屋久扶、三沢為清、益田藤兼、山田重直が元春に合流し、末次城近くに陣取る。元春は元清・重直を新山攻めを命じる。勝久・幸盛・久綱は元春が後詰にやってきたことを受け、新山に撤退する。
出典:『陰徳太平記』巻47「勝久攻末次付後詰並米原降参之事」

元亀1年 1570年 10月10日 42歳
吉川元春尼子勝久山中幸盛、立原久綱等が籠る新山城(出雲国)より撤退する。
出典:『陰徳太平記』巻47「勝久攻末次付後詰並米原降参之事」

元亀2年 1571年 6月14日 43歳
毛利元就が死去する。
出典:『陰徳太平記』巻48「毛利元就朝臣逝去並鹿助披擒事」

天正1年 1573年 7月28日 45歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
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天正10年 1582年 6月4日 54歳
高松城(備中国)に籠城していた清水宗治、清水宗知、難波宗忠、末近信賀が、毛利・羽柴両軍が見守る中で切腹する。
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文禄1年 1592年 12月8日 64歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
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慶長1年 1596年 10月27日 68歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
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慶長1年 1596年 12月1日 68歳
益田藤兼が死去する。
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