歴史の目的をめぐって
TОP
歴史
人 物 史
城 郭 史
寺 院 史
神 社 史
地 名
総 年 表
資料
文化財
商用利用可能 文化財画像
書籍
コンテンツ
和暦西暦変換
中世貨幣の価値
年齢計算
誕生年計算
寛政重修諸家譜 索引(製作中)
史料にみえる人物の呼称
石高から軍役算出
軍役から石高算出
寺 院 史
本法寺(山城国)
ほんぽうじ
本 尊
-
創 建
-
開 基
日親
山 号
叡昌山
宗 派
日蓮宗
別 称
-
関連宗教施設
-
現 所 在 地
〒602-0061
京都府京都市上京区寺ノ内上ル本法寺前町617番地
旧 所 在 地
堀川寺之内
史 料 地 名
-
イ メ ー ジ
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
リ ン ク
-
本法寺(山城国) 年表
天正16年 1588年 7月22日
毛利輝元
、
小早川隆景
、
吉川広家
が
黒田孝高
の案内にて上洛する。淀(山城国)にて
豊臣秀吉
が迎えの使者として前野長康・
浅野長政
を、
豊臣秀長
が
藤堂高虎
を、
豊臣秀次
が白井権大夫を遣わす。輝元、隆景、広家は京都に入り、輝元は
妙顕寺
に、隆景は
本法寺
に、広家は
妙蓮寺
に宿泊する。
出典:『陰徳太平記』巻75「毛利三家上洛付聚楽亭和歌会之事」
天正16年 1588年 7月24日
毛利輝元
、
小早川隆景
、
吉川広家
が
聚楽第
(山城国)に登城し
豊臣秀吉
に謁す。輝元は太刀1腰・馬1疋(月毛)・鷹5連・白銀3000枚を、隆景は太刀1腰・白糸3折・白銀500枚を、広家は太刀1腰・馬1疋(粕毛)・白銀500枚を秀吉に進上する。奏者は前野長康。この場に
聖護院道澄
、
前田利家
、
安国寺恵瓊
、
細川忠興
、
池田輝政
、
島津義久
、
立花宗茂
、龍造寺政家、
金森長近
、
施薬院全宗
、
蜂屋頼隆
、
穂井田元清
、
福原元俊
、
口羽春良
が列席する。
出典:『陰徳太平記』巻75「毛利三家上洛付聚楽亭和歌会之事」
寺院リストに戻る
Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.