人 物 史

口羽春良 くちば はるよし
生 没 年?-天正20年(1592)10/11
出 身-幼 名才徳丸
別 称志道才徳丸、少輔十郎
法 名-
戒 名-
口羽通良-
兄 弟 姉 妹口羽広通、口羽春良、口羽元可、宗立、女(井原元良の妻)、女(宍戸元続の妻)、女(栗原某の妻)
配 偶 者出羽成祐の娘
口羽元良、口羽元智、口羽元武、和智元経、娘(山内広通の妻)
官 位伯耆守、中務大輔
役 職-
城 郭丁城(石見国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ史料にみえる口羽春良の呼称
口羽春良 年表
- -年 -月-日 
口羽春良が生まれる。
出典:-

天文20年 1551年 9月1日 
大内義隆陶隆房の謀叛にあい大寧寺にて自害する。
出典:『大内義隆記』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収)、『厳助大僧正記』同年月日条、『陰徳太平記』巻19「義隆卿自害並大寧寺炎焼之事」

天文24年 1555年 10月1日 
厳島(安芸国)に滞在中の陶晴賢毛利元就が急襲し、晴賢は自害する。
出典:『言延覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年)、『二宮佐渡覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収)、『陰徳太平記』巻27「毛利元就厳島渡海付同所合戦事」、同巻28「陶全羨最後之事」

永禄6年 1563年 8月4日 
毛利隆元が佐々部(安芸国)にて死去する。
出典:『桂岌円覚書』

元亀2年 1571年 6月14日 
毛利元就が死去する。
出典:『陰徳太平記』巻48「毛利元就朝臣逝去並鹿助披擒事」

天正10年 1582年 6月4日 
高松城(備中国)に籠城していた清水宗治、清水宗知、難波宗忠、末近信賀が、毛利・羽柴両軍が見守る中で切腹する。
出典:-

天正14年 1586年 11月15日 
吉川元春が小倉(豊前国)にて死去する。
出典:『黒田家譜』巻3「孝高記」

天正16年 1588年 7月12日 
巳刻(9-11時)、毛利輝元が鞆(備後国)を出立する。船中にて連歌会を催す。以笋軒春盛、井原元良、佐世元嘉が参会する。未刻(13-15時)、塩飽(讃岐国)に到着する。福原元俊口羽春良が合流する。
出典:『天正記』同年月日条、『陰徳太平記』巻75「毛利三家上洛付聚楽亭和歌会之事」

天正16年 1588年 7月13日 
毛利輝元が順風でない(東風)ため塩飽(讃岐国)に逗留する。午刻(11-13時)、村上弾正忠が茶屋を立て輝元を饗応する。
出典:『天正記』同年月日条、『陰徳太平記』巻75「毛利三家上洛付聚楽亭和歌会之事」

天正16年 1588年 7月14日 
辰刻(7-9時)、毛利輝元が塩飽(讃岐国)を出立する。日比中島(備前国)にて潮待ちをする。申刻(15-17時)、牛窓(備前国)に到着する。当所に黒田孝高の使者として久野五兵衛が、安国寺恵瓊の使者として佐武三郎右衛門が輝元のもとに到着し、京都・大坂の様子を伝える。
出典:『天正記』同年月日条、『陰徳太平記』巻75「毛利三家上洛付聚楽亭和歌会之事」

天正16年 1588年 7月15日 
巳刻(9-11時)、毛利輝元が牛窓(備前国)を出立する。片上島(備前国)にて潮待ちをする。未刻(13-15時)、室(播磨国)に到着する。
出典:『天正記』同年月日条、『陰徳太平記』巻75「毛利三家上洛付聚楽亭和歌会之事」

天正16年 1588年 7月16日 
巳刻(9-11時)、毛利輝元が室(播磨国)を出立する。絵島・岩屋(淡路国)にて潮待ちをする。申刻(15-17時)、兵庫(摂津国)に到着する。船を和田岬(摂津国)に停泊させ、正直屋宗養(豊臣秀吉定宿)に宿泊する。
出典:『天正記』同年月日条、『陰徳太平記』巻75「毛利三家上洛付聚楽亭和歌会之事」

天正16年 1588年 7月17日 
毛利輝元が兵庫(摂津国)に逗留する。輝元のもとに豊臣秀長の迎えの使者として藤堂高虎が、豊臣秀次の使者として白井権太夫が訪れる。秀次は輝元に熊皮のあをり3口、さらし帷子20を贈る。また、下代官の増田六右衛門、玉拳入道が輝元に大樽10荷、鱧100喉、鱸10喉、昆布1折を進上する。申刻(15-17時)、蜂須賀家政が輝元の迎えとして兵庫に到着する。
出典:『天正記』同年月日条、『毛利輝元上洛日記』同年月日条

天正16年 1588年 7月18日 
辰刻(7-9時)、毛利輝元吉川広家小早川隆景蜂須賀家政が朝食をともにする。酉刻(17-19時)、輝元は松王小茅ヶ御影堂を見物する。
出典:『天正記』同年月日条、『毛利輝元上洛日記』同年月日条

天正16年 1588年 7月24日 
毛利輝元小早川隆景吉川広家聚楽第(山城国)に登城し豊臣秀吉に謁す。輝元は太刀1腰・馬1疋(月毛)・鷹5連・白銀3000枚を、隆景は太刀1腰・白糸3折・白銀500枚を、広家は太刀1腰・馬1疋(粕毛)・白銀500枚を秀吉に進上する。奏者は前野長康。この場に聖護院道澄前田利家安国寺恵瓊細川忠興池田輝政島津義久立花宗茂、龍造寺政家、金森長近施薬院全宗蜂屋頼隆穂井田元清福原元俊口羽春良が列席する。
出典:『陰徳太平記』巻75「毛利三家上洛付聚楽亭和歌会之事」

天正20年 1592年 10月11日 
口羽春良が開寧(朝鮮国)にて死去する。
出典:-

慶長5年 1600年 10月5日 
徳川家康毛利輝元の領国について周防国・長門国以外の所領を没収する。
出典:『関原始末記』

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