寺 院 史

妙顕寺(山城国) みょうけんじ
本 尊-
創 建-
開 基日像
山 号具足山
宗 派日蓮宗
別 称-
関連宗教施設-
現 所 在 地〒602-0005
京都府京都市上京区妙顕寺前町514
旧 所 在 地嘉慶1年(1387)時点 四条以南 綾小路以北 壬生以東 櫛笥以西
明徳4年(1393年)7月8日 押小路以南 姉小路以北 堀川以西 猪熊以東
永正16年(1519) 西洞院以西 油小路以東 三条坊門以北 二条大路以南
史 料 地 名-
イ メ ー ジ-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
リ ン ク-
妙顕寺(山城国) 年表
天正3年 1575年 7月6日 
織田信長妙顕寺にて公家衆とともに能を見物する。
出典:『信長公記』巻8(6)「禁中において親王様御鞠遊ばさるゝの事」

天正13年 1585年 7月*日 
『宇野主水記』に前田玄以の宿所はもと妙顕寺で、三条にあり、天守と堀を備え、羽柴秀吉在京時には秀吉の宿所となると記載あり。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正16年 1588年 7月22日 
毛利輝元小早川隆景吉川広家黒田孝高の案内にて上洛する。淀(山城国)にて豊臣秀吉が迎えの使者として前野長康・浅野長政を、豊臣秀長藤堂高虎を、豊臣秀次が白井権大夫を遣わす。輝元、隆景、広家は京都に入り、輝元は妙顕寺に、隆景は本法寺に、広家は妙蓮寺に宿泊する。
出典:『陰徳太平記』巻75「毛利三家上洛付聚楽亭和歌会之事」

天正16年 1588年 7月24日 
毛利輝元小早川隆景吉川広家聚楽第(山城国)に登城し豊臣秀吉に謁す。輝元は太刀1腰・馬1疋(月毛)・鷹5連・白銀3000枚を、隆景は太刀1腰・白糸3折・白銀500枚を、広家は太刀1腰・馬1疋(粕毛)・白銀500枚を秀吉に進上する。奏者は前野長康。この場に聖護院道澄前田利家安国寺恵瓊細川忠興池田輝政島津義久立花宗茂、龍造寺政家、金森長近施薬院全宗蜂屋頼隆穂井田元清福原元俊口羽春良が列席する。
出典:『陰徳太平記』巻75「毛利三家上洛付聚楽亭和歌会之事」

元和1年 1615年 7月29日 
豊臣秀頼方として戦った明石全登の縁者として岡家利・平内父子が妙顕寺(山城国)にて切腹する。両名の首がさらされる。
出典:『駿府記』同年月日条

元和1年 1615年 7月30日 
氏家行広の子3名が妙顕寺(山城国)にて切腹する。行広が大坂城(摂津国)に籠城したためという。
出典:『駿府記』同年月日条

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