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総年表


弘治1年 1555年 -月-日
松平家忠が三河国深溝にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第29「松平家忠」の項

弘治1年 1555年 -月-日
松平康安が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第26「松平康安」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第26「松平康安」の項

弘治1年 1555年 -月-日
小栗忠政が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第45「小栗忠政」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第45「小栗忠政」の項

弘治1年 1555年 -月-日
坂井尚恒が生まれる。
出典:-

弘治1年 1555年 -月-日
花房正成が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第90「花房正成」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第90「花房正成」の項

弘治1年 1555年 -月-日
出羽元倶が生まれる。
出典:-

弘治1年 1555年 -月-日
奥平信昌が生まれる。
出典:-

弘治1年 1555年 -月-日
日野輝資が生まれる。
出典:-

弘治1年 1555年 -月-日
安藤直次が生まれる。
出典:-

弘治1年 1555年 -月-日
牧野康成が生まれる。
出典:-

弘治1年 1555年 -月-日
宮城豊盛が生まれる。
出典:-

天文24年 1555年 1月10日
三好之虎が明石(播磨国)に攻め入る。
出典:『陰徳太平記』巻24「赤松晴政攻播州明石並三木城事」

天文24年 1555年 1月13日
前嗣に改名する。
出典:『系図纂要』「近衛家」

天文24年 1555年 1月13日
三好長慶が太山寺に陣取る。
出典:『足利季世記』巻5「丹州播州エ三好勢遣之事」、『陰徳太平記』巻24「赤松晴政攻播州明石並三木城事」

天文24年 1555年 1月-日
織田信長の要請を受けて斎藤道三が派遣した安藤守就率いる軍勢1000が名古屋(尾張国)に到着する。
出典:『清須合戦記』

天文24年 1555年 1月21日
織田信長が村木城を攻め、同城を落とす。
出典:『清須合戦記』

天文24年 1555年 2月16日
権中納言となる。
出典:『系図纂要』「勧修寺」

天文24年 1555年 2月27日
三好長慶と明石氏・別所氏の和睦が成立し、長慶は播磨国に参集させていた軍勢を開陣する。
出典:『足利季世記』巻5「丹州播州エ三好勢遣之事」、『陰徳太平記』巻24「赤松晴政攻播州明石並三木城事」

天文24年 1555年 3月16日
陶晴賢の命を受けた弘中隆包が江良房栄を殺害する。
出典:『陰徳太平記』巻第24「陶全〓誅江良丹後守事」

天文24年 1555年 4月1日
千宗易が自邸での茶会に武野紹鴎、渡辺道安、今井宗久、宗好を招く。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

天文24年 1555年 4月19日
織田信光が清須城(尾張国)南丸に入る。
出典:『清須合戦記』

天文24年 1555年 4月19日
坂井大炊助が清須城(尾張国)にて殺害される。
出典:『清須合戦記』

天文24年 1555年 4月26日
権中納言となる。
出典:『系図纂要』「徳大寺」

天文24年 1555年 6月-日
延暦寺にて六月会が執行される。勅使として万里小路資房が遣わされる。
出典:『厳助大僧正記』同年月日条

天文24年 1555年 7月2日
中御門宣忠が死去する。
出典:『系図纂要』「中御門」

天文24年 1555年 9月3日
陶晴賢が安芸国を攻めるべく、軍勢27000を率い山口(周防国)を発つ。
出典:『陰徳太平記』巻25「陶入道厳島渡海之評定之事」

天文24年 1555年 9月7日
陶晴賢率いる大内勢が岩国(周防国)の永興寺(周防国)に陣取る。
出典:『陰徳太平記』巻25「陶入道厳島渡海之評定之事」

天文24年 1555年 9月11日
中納言となる。
出典:『系図纂要』「中御門」

天文24年 1555年 9月17日
高野山金堂造営につき御影堂より「大師童形之御守刀」・「御筆理趣経」1巻・「勅筆仁王経」上下2巻・「大師御所持御珠数」1連・「舎利殿」1口を本願・善長が借用する。なお金堂造営が成ったならば、この5種の宝物とともに善長の所持する「大師御髪」・「牛玉」1顆・「御筆法花経」全1帖・「牛玉」1顆・「舎利塔」1基を御影堂に納めることを約束する。
出典:天文24年9月17日付金堂本願善長霊宝預状『高野山文書』巻1-65号

天文24年 1555年 9月18日
日野晴光が死去する。
出典:『系図纂要』「日野」

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