人 物 史

今井宗久 いまい そうきゅう
生 没 年永正17年(1520)-文禄2年(1593)8/5
出 身大和国高市郡今井村幼 名-
別 称彦八郎、彦右衛門、兼員、久秀
法 名-
戒 名-
今井氏高-
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者武野紹鷗の娘
今井宗薫
官 位-
役 職-
職 業-店 名納屋
店 所 在 地
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ今井宗久の関連文化財
今井宗久 年表
永正17年 1520年 -月-日 1歳
今井宗久が生まれる。
出典:-

大永1年 1521年 8月23日 2歳
「永正」より「大永」に年号が改まる。
出典:-

享禄1年 1528年 8月20日 9歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
出典:-

天文1年 1532年 7月29日 13歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
出典:-

天文23年 1554年 1月28日 35歳
松永久秀今井宗久の武野紹鴎の茶室 大黒庵にて行われた紹鴎の茶会に参会する。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

天文23年 1554年 11月12日 35歳
千宗易、網干屋道琳、紅屋宗陽、石川宗二が今井宗久邸での茶会に参会する。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

天文24年 1555年 4月1日 36歳
千宗易が自邸での茶会に武野紹鴎、渡辺道安、今井宗久、宗好を招く。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

弘治1年 1555年 10月23日 36歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治1年 1555年 10月29日 36歳
武野紹鴎が死去する。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

弘治4年 1558年 1月5日 39歳
朝、千宗易、北向道陳、今井宗久三好物外軒の茶会に参会する。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

弘治4年 1558年 2月28日 39歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄1年 1558年 9月9日 39歳
北向道陳、今井宗久、石川宗二が松永久秀が催した茶会に参会する。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

永禄2年 1559年 11月25日 40歳
千宗易今井宗久が茜屋宗佐の茶会に参会する。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

永禄3年 1560年 12月6日 41歳
千宗易が催した茶会に北向道陳、宗達、今井宗久を招く。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

永禄5年 1562年 1月18日 43歳
北向道陳が死去する。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

永禄6年 1563年 11月4日 44歳
宗達、今井宗久、宗可が松永久秀が催した茶会に参会する。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

永禄8年 1565年 5月7日 46歳
道設、武野新五郎、今井宗久千宗易が山上宗二の茶会に参会する。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

永禄9年 1566年 10月18日 47歳
千宗易今井宗久が茶事をする。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

永禄10年 1567年 8月27日 48歳
紅屋宗陽、松永久秀今井宗久の茶会に参会する。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

永禄10年 1567年 10月20日 48歳
千宗易今井宗久が宗甫の茶会に参会する。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

永禄12年 1569年 1月3日 50歳
津田宗及、武野宗瓦、千宗易今井宗久の茶会に参会する。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

永禄12年 1569年 8月1日 50歳
織田信長岐阜城下(美濃国)に滞在中の山科言継今井宗久、江西、武井夕庵松井友閑、島田弥右衛門、金余等を岐阜城の山城に案内し饗応する。饗応には信長も同席する。
出典:『言継卿記』同年月日条

元亀1年 1570年 4月23日 51歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀1年 1570年 6月4日 51歳
木下秀吉が、北近江への出陣につき、書状にて今井宗久へ鉄砲薬30斤、硝煙30斤を所望する。
出典:元亀1年6月4日付昨夢斎宛書状(名古屋市博物館所蔵、『豊臣秀吉文書集』1巻-23号)

元亀3年 1572年 12月13日 53歳
松井友閑、道設、千宗易今井宗久の茶会に参会する。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

天正1年 1573年 7月28日 54歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 11月24日 54歳
織田信長妙覚寺において茶会を開く。千宗易今井宗久の点前にて、松井友閑、山上宗二を招く。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

天正5年 1577年 3月23日 58歳
織田信長が若江(河内国)に帰陣する。
天王寺屋龍雲が所持する化狄、今井宗久所持の二銘の茶杓を召し上げ、宗久所持の開山之蓋置を進上させる。
出典:『信長公記』巻10(3)「御名物被召置の事」

天正6年 1578年 9月30日 59歳
織田信長に到着する。近衛前久、細川、一色が同道。九鬼嘉隆の大船を見物する。今井宗久のもとに茶を飲み、帰る途中、宗養・宗及・道昵の私宅にも寄る。住吉神社に帰る。住吉神社にて嘉隆を召し黄金10・服・ばくろう2折を与え、かつ1000人ずつ扶持を与える。また、犬飼助三・渡辺佐内・伊藤孫大夫の3人に黄金3枚と服を与える。
出典:『信長公記』巻11(11)「大船堺津にて御見物の事」

天正13年 1585年 7月11日 66歳
羽柴秀吉への関白宣下が行われる。
出典:『兼見卿記』同年月日条

天正13年 1585年 9月3日 66歳
松井友閑が初めて本願寺顕如のもとに礼に訪れる。友閑に今井宗久が同道する。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正13年 1585年 9月12日 66歳
施薬院全宗今井宗久・今井隼人を同道して本願寺顕如のもとに礼に訪れる。全宗は顕如・教如興正寺顕尊に銀5枚を贈る。顕如は子・教如、顕尊とともに全宗・宗久・隼人に対面する。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正13年 1585年 9月14日 66歳
羽柴秀吉が有馬(摂津国)に湯治のため向かう途中、天満本願寺に立ち寄る。石田三成増田長盛大谷吉継千抛筅斎施薬院全宗今井宗久、今井宗薫等が随従する。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正13年 1585年 10月15日 66歳
長宗我部元親信親父子が土佐国へ帰国するため大坂城(摂津国)を発つ。
今井宗久を介し桑名太郎左衛門を本願寺顕如のもとに遣わし、太刀1腰、馬1疋(栗毛)を贈る。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正19年 1591年 2月28日 72歳
千利休が切腹する。
出典:-

文禄1年 1592年 12月8日 73歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

文禄2年 1593年 8月5日 74歳
今井宗久が死去する。
出典:-

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