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出典 :   


天正11年 1583年 閏1月24日
本願寺顕如が有馬(摂津国)に到着する。
出典:『宇野主水記』附録同年月日条

天正11年 1583年 閏1月26日
大仏師康正に山門三院および日吉社内神体仏像の彫刻を命じる令旨を同内容の綸旨に添えて青蓮院尊朝が発給する。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正11年 1583年 閏1月29日
羽柴秀吉青蓮院尊朝に青蓮院領を安堵する。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正11年 1583年 閏1月29日
筒井順慶が総勢を率い近江国に向けて出陣する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正11年 1583年 閏1月-日
神体仏像彫刻の勅許が下りる。
出典:-

天正11年 1583年 2月2日
羽柴秀吉が伊賀国の竹木を買い取るにあたり、奈良中の者が伊賀国の材木を買い取ることがないよう筒井順慶が奈良中に触を出す。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正11年 1583年 2月6日
伊達政宗が金山城・丸森城(陸奥国)を攻める。
出典:『伊達性山治家記録』『白石家戦陣略記』(『大』11-3 p598)

天正11年 1583年 2月10日
夜、本願寺顕如が有馬(摂津国)を出立する。神崎より夜船にて橋本(山城国まで赴く。
出典:『宇野主水記』附録同年月日条

天正11年 1583年 2月10日
羽柴秀吉が伊勢国に出陣し、滝川一益が所持する亀山城(伊勢国)・峯城(伊勢国)・国府城(伊勢国)を包囲する。
出典:(天正11年)3月17日付豊臣秀吉書状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』2701号)

天正11年 1583年 2月11日
本願寺顕如が入京する。
出典:『宇野主水記』附録同年月日条

天正11年 1583年 2月12日
本願寺顕如が京都見物をする。
出典:『宇野主水記』附録同年月日条

天正11年 1583年 2月13日
本願寺顕如が京都見物をする。
出典:『宇野主水記』附録同年月日条

天正11年 1583年 2月14日
本願寺顕如が京都見物をする。
出典:『宇野主水記』附録同年月日条

天正11年 1583年 2月15日
本願寺顕如が京都見物をする。
出典:『宇野主水記』附録同年月日条

天正11年 1583年 2月16日
本願寺顕如が京都見物をする。
出典:『宇野主水記』附録同年月日条

天正11年 1583年 2月17日
本願寺顕如が京都見物をする。
出典:『宇野主水記』附録同年月日条

天正11年 1583年 2月18日
本願寺顕如が京都見物をする。なお、見物先は清水寺北野社、石清水八幡宮、清凉寺、泉涌寺、祇園社、松尾神社。
出典:『宇野主水記』附録同年月日条

天正11年 1583年 2月19日
本願寺顕如が宇治(山城国)を見物をする。顕如は奈良(大和国)に宿泊する。
出典:『宇野主水記』附録同年月日条

天正11年 1583年 2月20日
本願寺顕如春日社の所々を見物をする。春日社若宮にて行われた太神楽を見物し銭12貫を贈る。
出典:『宇野主水記』附録同年月日条、『多聞院日記』同年月22日条

天正11年 1583年 2月21日
本願寺顕如が奈良(大和国)を発ち、三輪神社、長谷寺に参詣する。この頃の長谷寺は在家2・3町続き、左右に旅宿などをする町屋が200軒連なっているという。また観音堂は半作という。顕如は今井(大和国)に赴き宿泊する。
出典:『顕如上人雑記』同年月日条

天正11年 1583年 2月21日
柴田康忠、依田信蕃率いる徳川勢が大井行吉の籠る岩尾城(信濃国)を攻める。
柴田・依田勢:依田信蕃[大将]、柴田康忠[軍監]、依田信幸、跡部久次
大井勢:大井行吉[大将]。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第173「跡部久次」の項

天正11年 1583年 2月22日
本願寺顕如が今井(大和国)を発ち吉野に赴き飯貝(大和国)に宿泊する。
出典:『宇野主水記』附録同年月日条

天正11年 1583年 2月22日
柴田康忠、依田信蕃率いる徳川勢が大井行吉の籠る岩尾城(信濃国)を攻める。
柴田・依田勢:依田信蕃[大将](負傷)、柴田康忠[軍監]、依田信幸(戦死)、跡部久次
大井勢:大井行吉[大将]。
出典:-

天正11年 1583年 2月23?日
本願寺顕如が、飯貝(大和国)の本善寺に赴き桜の樹を見物した後、下市(大和国)の願行寺に宿泊する。
出典:『宇野主水記』附録同年月日条

天正11年 1583年 2月23日
2月22日に岩尾城(信濃国)攻めで負傷した依田信蕃が死去する。
出典:-

天正11年 1583年 2月24日
本願寺顕如が下市(大和国)の願行寺を発つ。今井(大和国)および山田(河内国)にて1献あり。の慈光寺に宿泊する。
出典:『宇野主水記』附録同年月日条

天正11年 1583年 2月25日
本願寺顕如が鷺森本願寺に帰る。
出典:『宇野主水記』附録同年月日条

天正11年 1583年 2月25日
小笠原長時が会津(陸奥国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第188「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原長時」の項

天正11年 1583年 2月-日
本願寺顕如が門末に下付する絵像本尊の大きさを定める。
出典:『大谷本願寺通紀』巻2「証如」の項

天正11年 1583年 -月-日
羽柴秀吉上杉景勝と同盟を結ぶべく誓詞に血判を捺す際、寺内素休が見届け人となる。
出典:(天正11年付)上杉家条書案(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』2657号)

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