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出典 :   


慶長18年 1613年 6月22日
が播磨国に帰国する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 6月24日
可児吉長が死去する。
出典:-

慶長18年 1613年 6月24日
徳川家康の召しに応じた森忠政が駿府(駿河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 6月26日
駿府城(駿河国)にて徳川家康森忠政と対面する。家康は忠政に青木一矩の肩衝茶入を下賜する。忠政は池田忠継の舅であるので、忠継を後見するようにと帰国を命じられる。
長崎(肥前国)より飛脚が駿府城に到着したと後藤光次が家康に取り次ぐ。
シャム国より木屋弥三右衛門が帰国したため、家康は弥三右衛門に対面し、同国のことについて尋ねる。弥三右衛門はシャム国には僧が多く、黄法衣を着ていたという。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 6月-日
鞍馬寺(山城国)の本尊・毘沙門天の開帳が始まる。
出典:『当代記』同年10月3日条

慶長18年 1613年 7月3日
内裏の柱立が行われる。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 7月6日
本願寺教如が円光寺(近江国浅井郡)の了善に教如寿像を下付する。
出典:教如寿像裏書(円光寺蔵。長浜城歴史博物館編『顕如・教如と一向一揆』)

慶長18年 1613年 7月6日
延暦寺より南光坊天海が駿府(駿河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 7月7日
浅間において能7番が行われる。徳川家康義利頼宣頼房が見物する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 7月8日
能8番が行われる。左京喜之助、池田備後守、鈴木久右衛門、水無瀬一斎が勤める。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 7月9日
徳川家康大久保長安の子・藤十郎、外記、権之佐、雲十郎、内膳とその他播磨国・越後国にて預け置かれている子息に切腹を命じる。預け先の諸大名に切腹を命じるよう伝える。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 7月25日
本願寺教如が大坂より東本願寺に帰寺する。
出典:『御堂日記』(略抜)同年月日条(『真宗本廟(東本願寺)造営史』)

慶長18年 1613年 7月25日
伏見城(山城国)に城番交替につき江戸(武蔵国)より伏見城に向かっている松平信吉、井伊直孝、渡辺大隅守、一色宮内少輔が駿府(駿河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 7月26日
伏見城(山城国)に城番交替につき江戸(武蔵国)より伏見城に向かっている松平信吉、井伊直孝、渡辺大隅守、一色宮内少輔が駿府城(駿河国)にて徳川家康に対面する。その後、伏見城に向けて出立する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 8月2日
長崎(肥前国)より花火の名手が駿府(駿河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 8月3日
徳川家康が長崎(肥前国)よりやってきた花火の名手と対面する。6日の夜に花火を打ち上げることになる。
家康が駿府城(駿河国)にてイギリス人と対面する。イギリス人は家康に猩々皮10間・弩1張・象眼入鉄砲2挺を贈る。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 8月5日
徳川秀忠の使者・土井利勝駿府城(駿河国)にいる徳川家康のもとに到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 8月6日
惣検校60人程が大久保長安のところに出入りしていた件で、徳川家康が立腹していることを聞き、家康に詫びるため駿府(駿河国)を訪れる。
夜、花火名手の唐人が駿府城(駿河国)二ノ丸にて花火を打ち上げ、家康に見せる。徳川義利徳川頼宣徳川頼房も見物する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 8月8日
土井利勝が江戸(武蔵国)に戻るべく駿府城(駿河国)を出立する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 8月11日
准大臣を追贈される。
出典:『系図纂要』「柳原」

慶長18年 1613年 8月11日
南光坊天海が暇乞いのため駿府城(駿河国)に登城する。徳川家康が天海に論義を望む。家康は天海に薬を遣わす。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 8月13日
源誉存応が駿府(駿河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 8月15日
巳刻(9-11時)、源誉存応が報土寺(駿河国)に居す。徳川家康が報土寺に赴く。供は本多正純安藤直次成瀬正成村越直吉松平正久等100余名。家康は源誉存応の法問「一念弥陀仏即滅無量罪」を聴聞する。午刻(11-13時)、家康は駿府城(駿河国)に帰城する。その後、家康は南光坊天海邸のもとに赴き仏法について雑談する。夜、帰城する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 8月17日
源誉存応が駿府城(駿河国)に登城する。法問が行われる。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 8月17日
加藤正次が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻777「加藤正次」の項

慶長18年 1613年 8月18日
駿府城(駿河国)にて源誉存応による法問が行われる。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 8月24日
未刻(13-15時)、浅野幸長の病が再発する。
出典:『駿府記』同年月29日条

慶長18年 1613年 8月25日
辰刻(7-9時)、浅野幸長和歌山(紀伊国)にて死去する。
出典:『駿府記』同年9月1日条、『当代記』同年月日条、『慶長年録』同年月日条、『浅野考譜』

慶長18年 1613年 8月27日
駿河国にて、卯刻(5-7時)より大風雨あり。駿府城(駿河国)近辺の武家邸宅・民屋が倒壊する。申刻(15-17時)、大風雨が止む。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 8月28日
佐和山城(近江国)よりやってきた井伊直勝駿府城(駿河国)にいる徳川家康に礼をするため駿府(駿河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

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