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慶長20年 1615年 5月20日
大野道犬が方廣寺大仏殿あたりで捕縛される。
浅野長晟が紀伊国伊都郡に隠れていた真田信繁の妻を捕らえ二条城(山城国)に移送する。信繁妻は豊臣秀頼より信繁に与えられた黄金57枚と脇差(銘 来国俊)を所持しており、長晟はそれらを徳川家康に進上するが、家康はそれを長晟に賜う。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 5月21日
伏見(山城国)の農人橋に隠れていた豊臣国松が捕縛される。国松は「容貌美麗」だったとされる。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 5月23日
徳川秀忠二条城(山城国)にいる徳川家康のもとに赴き、密談する。午刻(11-13時)、秀忠は伏見城(山城国)に戻る。
未刻(13-15時)、豊臣国松が六条河原(山城国)にて処刑される。国松の乳母の子・田中六左衛門も同時に処刑される。乳母は赦免される。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 5月24日
徳川家康後藤光次を召し出し、豊臣家より没収した金銀を調査するように命じる。光次は大坂(摂津国)に赴く。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 5月25日
小笠原長次が信濃国松本にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第189「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原長次」の項

慶長20年 1615年 5月27日
増田長盛が死去する。
出典:-

慶長20年 1615年 5月27日
榊原康勝が大坂夏の陣での戦いで負傷により腫物ができ、片原(山城国)にて死去する。
出典:『駿府記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第100「榊原康勝」の項

慶長20年 1615年 5月28日
片桐且元が駿府(駿河国)にて死去する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 5月28日
徳川秀忠井伊直孝藤堂高虎を召し寄せ、5月6・日の戦いの勲功として、金銀の千枚吹および分銅2を賜い、知行地を給付することを直接伝える。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 5月29日
田中忠政二条城(山城国)に到着する。柳川(筑後国)よりの出兵だったため大坂城(摂津国)攻めに遅参する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 -月-日
木下秀規が死去する。
出典:-

慶長20年 1615年 6月1日
須田長義が死去する。
出典:-

慶長20年 1615年 6月1日
午刻(11-13時)、江戸(武蔵国)にて大地震が起こり、家屋が倒壊する。
出典:『駿府記』同年月8日条

慶長20年 1615年 6月1日
小倉吉次が京都(山城国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第398「小倉吉正」の項

慶長20年 1615年 6月2日
島津家久尼崎(摂津国)に到着する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津家久(忠恒)」の項

慶長20年 1615年 6月2日
安藤重信後藤光次が豊臣家の没収金28060枚、銀24000枚を京都に移送し、その量を徳川家康に報告する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 6月4日
徳川秀忠伏見城(山城国)にて咳病を患い、医師の診察を受ける。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 6月5日
島津家久徳川家康秀忠父子に謁す。家久は家康に礼として銀500枚、綾子50巻を献上する。
出典:『駿府記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第108「島津家久(忠恒)」の項

慶長20年 1615年 6月6日
細川興秋が大坂城(摂津国)に籠城し豊臣方として戦ったことについて、父・忠興が興秋に自害を命じ、興秋は東林院にて自害する。松井昌永が介錯する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川興秋」の項、『綿考輯録』巻19

慶長20年 1615年 6月6日
母里友信が死去する。
出典:-

慶長20年 1615年 6月7日
祇園会を行われる。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 6月7日
徳川秀忠の使者として土井利勝二条城(山城国)にいる徳川家康のもとを訪れる。秀忠の咳病が治癒したことを伝える。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 6月8日
最上家親の飛脚が二条城(山城国)にいる徳川家康のもとに到着し、6月1日に江戸(武蔵国)にて大地震があり、家屋が倒壊したことを伝える。
家康が松平忠明を召し出し、大坂(摂津国)にて50000石を加増し、総じて100000石を給付する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 6月11日
午刻(11-13時)、古田重然・山城守父子が豊臣秀頼への内通の疑いにより徳川秀忠の命により伏見(山城国)にて切腹する。検使は鳥居成次・内藤右衛門佐。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 6月14日
幕府が古田重然の家財を没収する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 6月14日
源誉存応が上洛する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 6月14日
浅野長晟熊野一揆の棟梁を捕縛して上洛する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 6月15日
巳刻(9-11時)、徳川家康が参内する。後水尾天皇に銀100枚・綿200把を、女院に綿100把・銀50枚を、長橋局に銀20枚・綿30把を進上する。午刻(11-13時)、家康は院参する。後陽成上皇に銀50枚・綿100把を進上する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 6月16日
嘉定につき諸大名が徳川家康のもとに参る。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 6月17日
天台論議が行われる。
出典:『駿府記』同年月日条

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