人 物 史

小堀政一 こぼり まさかず
生 没 年天正7年(1579)-正保4年(1647)2/6
出 身-幼 名-
別 称作助、正一、狐蓬庵
法 名-
戒 名狐蓬庵大有宗甫
小堀正次磯野昌員の娘
兄 弟 姉 妹小堀政一、小堀正行、小堀正長、小堀正春、小堀宗栄、女(伊東某の妻)、女(田中某の妻)
配 偶 者藤堂高虎の養女、三沢局
小堀正之、小堀政尹、小堀政孝、小堀政貞、多羅尾光忠、娘(平岡頼資の妻)、娘(池田重政の妻)、娘(平井某の妻)、娘(下間某の妻)、娘(小堀正憲の妻)
官 位遠江守
役 職江戸幕府 備中代官、河内国奉行、近江国奉行、伏見奉行、上方郡代
城 郭松山城(備中国)、福知山城(丹波国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ小堀政一の関連文化財
小堀政一 年表
天正7年 1579年 -月-日 1歳
小堀政一が生まれる。
出典:-

天正10年 1582年 6月2日 4歳
本能寺に宿泊中の織田信長を、早朝、明智光秀が襲撃する。信長は自害する。また、光秀は二条殿に籠城する織田信忠とその小姓勢を討ち取る。
信長勢:森成利(戦死)、福富秀勝(戦死)、野々村正成(戦死)。
信忠勢:村井貞勝(戦死)、菅屋長頼(戦死)、織田信房(戦死)、団忠正(戦死)。
出典:『多聞院日記』同年月日・3日条

天正18年 1590年 9月10日 12歳
磯野員昌が死去する。
出典:-

天正19年 1591年 1月22日 13歳
豊臣秀長が死去する。
出典:『言経卿記』同年月日条

文禄1年 1592年 12月8日 14歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

文禄4年 1595年 4月16日 17歳
豊臣秀保が十津川(大和国)にて死去する。
出典:『多聞院日記』同年月日条、『駒井日記』同年月18日条

慶長1年 1596年 10月27日 18歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-

慶長3年 1598年 8月18日 20歳
豊臣秀吉が死去する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長8年 1603年 2月12日 25歳
朝廷にて徳川家康の征夷大将軍就任および右大臣転任についての陣儀が行われる。家康を淳和奨学院別当、源氏長者、牛車兵杖等に宣下することに決まる。陣儀の上卿が伏見の家康邸に赴き、家康に征夷大将軍就任の旨を言い渡し、家康が征夷大将軍となる。
池田輝政が右近衛少将に、板倉勝重が従五位下・伊賀守に叙位・任官。
出典:『慶長日件録』同年月日条、『当代記』巻3同年月日条

慶長10年 1605年 4月16日 27歳
徳川秀忠が征夷大将軍宣下を受ける。
板倉重宗が従五位下・周防守に叙位・任官。
出典:『義演准后日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第81「板倉重宗」の項

慶長20年 1615年 閏6月25日 37歳
徳川家康福島高晴の居城・宇陀城(大和国)の破却を小堀政一、中坊左近に命じる。
出典:『駿府記』同年月日条

元和1年 1615年 7月13日 37歳
「慶長」より「元和」に年号が改まる。
出典:『駿府記』同年月日条

元和2年 1616年 4月17日 38歳
徳川家康が死去する。
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寛永1年 1624年 2月30日 46歳
「元和」より「寛永」に年号が改まる。
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寛永9年 1632年 1月24日 54歳
徳川秀忠が死去する。
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正保1年 1644年 12月16日 66歳
「寛永」より「正保」に年号が改まる。
出典:-

正保4年 1647年 2月6日 68歳
小堀政一が死去する。
出典:-

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