人 物 史

石川家成 いしかわ いえなり
生 没 年天文3年(1534)-慶長14年(1609)10/29
出 身三河国西野幼 名-
別 称彦五郎
法 名-
戒 名香誉梅巌常寿院
石川清兼-
兄 弟 姉 妹石川康正、石川一政、石川家成、女(安藤基能の妻)、女(平岩金次郎の妻)、女(酒井正親の妻)、女(伊奈市左衛門の妻)
配 偶 者松平清善の娘
石川康通、娘(本多康重の妻)、娘(大久保忠隣の妻)、石川忠総、石川成次
官 位日向守
役 職-
城 郭掛川城(遠江国)、大垣城(美濃国)
参 考 文 献○『寛政重修諸家譜』巻第118「清和源氏 義時流 石川」「石川家成」の項
関 連 デ ー タ-
石川家成 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
天文3年1534--1石川家成が三河国西野にて生まれる。『寛政重修諸家譜』巻第118「清和源氏 義時流 石川」「石川家成」の項
天文23年1554--21子・康通が生まれる。-
弘治1年1555102322「天文」より「弘治」に年号が改まる。-
弘治4年15582525徳川家康が鈴木重辰の籠る寺部城(三河国)を攻める。攻め衆石川家成『寛政重修諸家譜』巻第118「清和源氏 義時流 石川」「石川家成」の項
弘治4年155822825「弘治」より「永禄」に年号が改まる。-
永禄3年156051927桶狭間にて織田信長今川義元を襲撃し、義元が戦死する。義元は毛利良勝が討ち取る。
織田信長勢:森可成前田利家
今川義元勢:松平宗次(戦死)、鈴木重村。
『寛政重修諸家譜』巻第16「松平宗次」の項、同126「森可成」の項、同1154「鈴木重村」の項
永禄7年156462231松平元康酒井忠次吉田城(三河国)城主とする。
元康が三河国内の国衆を二手に分け、忠次を東三河の国衆の旗頭に、石川家成を西三河の国衆の旗頭とする。
『寛政重修諸家譜』巻第65「酒井忠次」の項
元亀1年157042337「永禄」より「元亀」に年号が改まる。-
元亀3年1572122239三方ヶ原(遠江国)にて武田信玄徳川家康が戦い、信玄が勝利する。
武田信玄勢:真田昌幸土屋昌続横手信俊[山県昌景勢]、山高信親(戦死)。
徳川家康勢:酒井忠次酒井正親榊原康政[先鋒]、小栗忠政鳥居忠広(戦死)・野々山元政(戦死)、石川正俊(戦死)、渥美友勝、加藤正信(戦死)、加藤比禰丞(戦死)。
織田勢:平手汎秀(戦死)。
浜松城(遠江国)留守居衆:石川家成、小笠原広重。
『信長公記』巻5(4)「身方が原合戦の事」、『寛政重修諸家譜』巻第23「松平家忠」の項、同26「松平康安」の項、同45「小栗忠政」の項、同52「松平康元」の項、同59「酒井正親」の項、同65「酒井忠次」の項、同87「土屋昌次」の項、同100「榊原康政」の項、同118「石川家成」の項、同122「石川正俊」の項、同110「野々山元政」の項、同160「山高信親」の項、同163「柳沢信俊」の項、同191「小笠原広重」の項、同777「加藤比禰丞」の項、同777「加藤正信」の項、同961「渥美友勝」の項
天正1年157372840「元亀」より「天正」に年号が改まる。-
天正8年1580--47石川家成が家督を子・康通に譲る。『寛政重修諸家譜』巻第118「清和源氏 義時流 石川」「石川家成」の項
天正14年1586102753徳川家康羽柴秀吉のもとを訪れ臣従の礼をする。金100枚、縮100端を贈る。『宇野主水記』同年月日条
文禄1年159212859「天正」より「文禄」に年号が改まる。-
慶長1年1596102763「文禄」より「慶長」に元号が改まる。-
慶長5年160091567関ヶ原の合戦で徳川家康石田三成が戦い、家康が勝利する。
家康が岡山に、三成が笹尾山に本陣を置く。黒田長政加藤嘉明細川忠興金森長近石田三成と、福島正則松平忠吉井伊直政宇喜多秀家小西行長と、藤堂高虎大谷吉継と戦い、池田輝政浅野幸長が南宮山の毛利秀元吉川広家安国寺恵瓊長束正家長宗我部盛親と対峙する。戦中、小早川秀秋が寝返り、大谷吉継勢を襲撃し、石田勢が総崩れとなる。三成は伊吹山方面に逃走する。島津義弘島津豊久は伊勢路からの撤退を企て、井伊直政の追撃を受けるも豊久が殿をつとめ、直政を鉄砲にて逆襲し負傷させ、戦場を離脱する。
徳川家康勢:徳川家康[総大将]、井伊直政、本多忠勝、黒田長政、加藤嘉明、細川忠興、金森長近、福島正則、松平忠吉、井伊直政、藤堂高虎、池田輝政、浅野幸長、酒井重忠[徳川家康勢]、松平定友[徳川家康勢]、松平康安[徳川家康勢]、小栗忠政[徳川家康勢]、花房職秀[徳川家康勢]、油川信貞[徳川家康勢]、三枝守英[徳川家康勢]、岩瀬氏与[徳川家康勢・使番]、鈴木重次[徳川家康勢]、鈴木信光[徳川家康勢 御使番]、森可澄[徳川家康勢]、加藤正次[徳川家康勢]、酒依昌吉[徳川家康勢]、小倉吉正[水野重央勢]、黒田一成[黒田長政勢]、菅正利[黒田長政勢]、菅正辰[黒田長政勢]、藤堂高刑[藤堂高虎勢]、池田利隆[池田輝政勢]、池田長吉[池田輝政勢]、伊木忠次[池田輝政勢]、森可政[有馬則頼勢]。
石田三成勢:石田三成[総大将]、島津義弘、島津豊久(戦死)、宇喜多秀家、小西行長、大谷吉継(戦死)、平塚為広(戦死)、毛利秀元、吉川広家、安国寺恵瓊、長束正家、長宗我部盛親、川尻秀長(戦死)、島清興[石田三成勢](戦死)、大谷吉治[大谷吉継勢]、湯浅隆貞[大谷吉継勢](戦死)、福留政親[長宗我部盛親勢]。
『関原始末記』、『寛政重修諸家譜』巻第26「松平康安」の項、同45「小栗忠政」の項、同54「松平定友」の項、同59「酒井重忠」の項、同89「花房職之」の項、同127「森可澄」の項、同147「油川信貞」の項、同398「小倉吉次」の項、同963「岩瀬氏与」の項、同1154「鈴木重次」の項、同1156「鈴木信光」の項、『福富半右衛門親政法名浄安覚書』、『菅氏世譜
慶長6年16012-68徳川家康石川家成に大垣(美濃国)を給付する。『当代記』巻3同年月日条
慶長6年1601101468徳川家康が佐和山(近江国)を発ち、大垣(美濃国)に宿泊する。『当代記』巻3同年月日条
慶長6年1601101568徳川家康が大垣(美濃国)を発ち、岐阜(美濃国)に宿泊する。『当代記』巻3同年月日条
慶長12年160772674子・康通が死去する。-
慶長14年1609102976石川家成が大垣(美濃国)にて死去する。『寛政重修諸家譜』巻第118「清和源氏 義時流 石川」「石川家成」の項
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