和暦 |
西暦 |
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年齢 |
事項 |
出典 |
天文3年 | 1534 | - | - | 1 | 石川家成が三河国西野にて生まれる。 | 『寛政重修諸家譜』巻第118「清和源氏 義時流 石川」「石川家成」の項 |
天文23年 | 1554 | - | - | 21 | 子・康通が生まれる。 | - |
弘治1年 | 1555 | 10 | 23 | 22 | 「天文」より「弘治」に年号が改まる。 | - |
弘治4年 | 1558 | 2 | 5 | 25 | 徳川家康が鈴木重辰の籠る寺部城(三河国)を攻める。攻め衆石川家成。 | 『寛政重修諸家譜』巻第118「清和源氏 義時流 石川」「石川家成」の項 |
弘治4年 | 1558 | 2 | 28 | 25 | 「弘治」より「永禄」に年号が改まる。 | - |
永禄3年 | 1560 | 5 | 19 | 27 | 桶狭間にて織田信長が今川義元を襲撃し、義元が戦死する。義元は毛利良勝が討ち取る。 織田信長勢:森可成、前田利家。 今川義元勢:松平宗次(戦死)、鈴木重村。 | 『寛政重修諸家譜』巻第16「松平宗次」の項、同126「森可成」の項、同1154「鈴木重村」の項 |
永禄7年 | 1564 | 6 | 22 | 31 | 松平元康が酒井忠次を吉田城(三河国)城主とする。 元康が三河国内の国衆を二手に分け、忠次を東三河の国衆の旗頭に、石川家成を西三河の国衆の旗頭とする。 | 『寛政重修諸家譜』巻第65「酒井忠次」の項 |
元亀1年 | 1570 | 4 | 23 | 37 | 「永禄」より「元亀」に年号が改まる。 | - |
元亀3年 | 1572 | 12 | 22 | 39 | 三方ヶ原(遠江国)にて武田信玄と徳川家康が戦い、信玄が勝利する。 武田信玄勢:真田昌幸、土屋昌続、横手信俊[山県昌景勢]、山高信親(戦死)。 徳川家康勢:酒井忠次、酒井正親、榊原康政[先鋒]、小栗忠政、鳥居忠広(戦死)・野々山元政(戦死)、石川正俊(戦死)、渥美友勝、加藤正信(戦死)、加藤比禰丞(戦死)。 織田勢:平手汎秀(戦死)。 浜松城(遠江国)留守居衆:石川家成、小笠原広重。 | 『信長公記』巻5(4)「身方が原合戦の事」、『寛政重修諸家譜』巻第23「松平家忠」の項、同26「松平康安」の項、同45「小栗忠政」の項、同52「松平康元」の項、同59「酒井正親」の項、同65「酒井忠次」の項、同87「土屋昌次」の項、同100「榊原康政」の項、同118「石川家成」の項、同122「石川正俊」の項、同110「野々山元政」の項、同160「山高信親」の項、同163「柳沢信俊」の項、同191「小笠原広重」の項、同777「加藤比禰丞」の項、同777「加藤正信」の項、同961「渥美友勝」の項 |
天正1年 | 1573 | 7 | 28 | 40 | 「元亀」より「天正」に年号が改まる。 | - |
天正8年 | 1580 | - | - | 47 | 石川家成が家督を子・康通に譲る。 | 『寛政重修諸家譜』巻第118「清和源氏 義時流 石川」「石川家成」の項 |
天正14年 | 1586 | 10 | 27 | 53 | 徳川家康が羽柴秀吉のもとを訪れ臣従の礼をする。金100枚、縮100端を贈る。 | 『宇野主水記』同年月日条 |
文禄1年 | 1592 | 12 | 8 | 59 | 「天正」より「文禄」に年号が改まる。 | - |
慶長1年 | 1596 | 10 | 27 | 63 | 「文禄」より「慶長」に元号が改まる。 | - |
慶長5年 | 1600 | 9 | 15 | 67 | 関ヶ原の合戦で徳川家康と石田三成が戦い、家康が勝利する。 家康が岡山に、三成が笹尾山に本陣を置く。黒田長政・加藤嘉明・細川忠興・金森長近が石田三成と、福島正則・松平忠吉・井伊直政が宇喜多秀家・小西行長と、藤堂高虎が大谷吉継と戦い、池田輝政・浅野幸長が南宮山の毛利秀元・吉川広家・安国寺恵瓊・長束正家・長宗我部盛親と対峙する。戦中、小早川秀秋が寝返り、大谷吉継勢を襲撃し、石田勢が総崩れとなる。三成は伊吹山方面に逃走する。島津義弘・島津豊久は伊勢路からの撤退を企て、井伊直政の追撃を受けるも豊久が殿をつとめ、直政を鉄砲にて逆襲し負傷させ、戦場を離脱する。 徳川家康勢:徳川家康[総大将]、井伊直政、本多忠勝、黒田長政、加藤嘉明、細川忠興、金森長近、福島正則、松平忠吉、井伊直政、藤堂高虎、池田輝政、浅野幸長、酒井重忠[徳川家康勢]、松平定友[徳川家康勢]、松平康安[徳川家康勢]、小栗忠政[徳川家康勢]、花房職秀[徳川家康勢]、油川信貞[徳川家康勢]、三枝守英[徳川家康勢]、岩瀬氏与[徳川家康勢・使番]、鈴木重次[徳川家康勢]、鈴木信光[徳川家康勢 御使番]、森可澄[徳川家康勢]、加藤正次[徳川家康勢]、酒依昌吉[徳川家康勢]、小倉吉正[水野重央勢]、黒田一成[黒田長政勢]、菅正利[黒田長政勢]、菅正辰[黒田長政勢]、藤堂高刑[藤堂高虎勢]、池田利隆[池田輝政勢]、池田長吉[池田輝政勢]、伊木忠次[池田輝政勢]、森可政[有馬則頼勢]。 石田三成勢:石田三成[総大将]、島津義弘、島津豊久(戦死)、宇喜多秀家、小西行長、大谷吉継(戦死)、平塚為広(戦死)、毛利秀元、吉川広家、安国寺恵瓊、長束正家、長宗我部盛親、川尻秀長(戦死)、島清興[石田三成勢](戦死)、大谷吉治[大谷吉継勢]、湯浅隆貞[大谷吉継勢](戦死)、福留政親[長宗我部盛親勢]。 | 『関原始末記』、『寛政重修諸家譜』巻第26「松平康安」の項、同45「小栗忠政」の項、同54「松平定友」の項、同59「酒井重忠」の項、同89「花房職之」の項、同127「森可澄」の項、同147「油川信貞」の項、同398「小倉吉次」の項、同963「岩瀬氏与」の項、同1154「鈴木重次」の項、同1156「鈴木信光」の項、『福富半右衛門親政法名浄安覚書』、『菅氏世譜』 |
慶長6年 | 1601 | 2 | - | 68 | 徳川家康が石川家成に大垣(美濃国)を給付する。 | 『当代記』巻3同年月日条 |
慶長6年 | 1601 | 10 | 14 | 68 | 徳川家康が佐和山(近江国)を発ち、大垣(美濃国)に宿泊する。 | 『当代記』巻3同年月日条 |
慶長6年 | 1601 | 10 | 15 | 68 | 徳川家康が大垣(美濃国)を発ち、岐阜(美濃国)に宿泊する。 | 『当代記』巻3同年月日条 |
慶長12年 | 1607 | 7 | 26 | 74 | 子・康通が死去する。 | - |
慶長14年 | 1609 | 10 | 29 | 76 | 石川家成が大垣(美濃国)にて死去する。 | 『寛政重修諸家譜』巻第118「清和源氏 義時流 石川」「石川家成」の項 |