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総年表


享徳3年 1454年 5月27日
伊勢貞国が死去する。
出典:-

享徳3年 1454年 8月28日
蠣崎信広が松前(蝦夷国)に赴く。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎信広」の項

享徳3年 1454年 10月5日
寿尊が生まれる。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」

享徳3年 1454年 10月5日
子・寿尊が生まれる。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」

享徳3年 1454年 11月29日
細川常有が刑部少輔に任じられる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川常有」の項

享徳4年 1455年 2月19日
赤松政則が生まれる。
出典:-

享徳4年 1455年 3月26日
畠山徳本が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第98「清和源氏 義家流 足利支流 畠山」「畠山持国」の項

享徳4年 1455年 4月-日
中原康富が依頼された長谷寺縁起絵3巻の点検のため浄南院に赴く。
出典:『康富記』同年月日条

康正1年 1455年 7月25日
「享徳」より「康正」に年号が改まる。
出典:-

康正1年 1455年 8月15日
千葉胤直が自害する。
出典:-

康正1年 1455年 8月21日
畠山持国が養子・政長と実子・義就の家督争いにつき、自邸を焼く。
出典:『応仁前記』巻之上

康正1年 1455年 8月28日
畠山持国が病により建仁寺西来院(山城国)に蟄居する。
出典:『応仁前記』巻之上

康正1年 1455年 9月16日
玄真が死去する。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

康正1年 1455年 12月23日
太田資長が正五位下・備中守に叙位・任官。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第253「太田資長」の項

康正1年 1455年 -月-日
蓮誓が生まれる。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」

康正1年 1455年 -月-日
子・蓮誓が生まれる。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」

康正2年 1456年 -月-日
北条早雲が生まれる。
出典:-

康正2年 1456年 -月-日
蠣崎光広が生まれる。
『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎光広」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎光広」の項

康正2年 1456年 2月5日
長谷寺舞台供養につき尋尊は奉加帳に判を捺す。
出典:『大乗院寺社雑事記』同年月日条

康正2年 1456年 3月14日
長谷寺舞台供養につき開帳を認める綸旨が尋尊に発給される。
出典:『大乗院寺社雑事記』同年月日条

康正2年 1456年 3月15日
長谷寺舞台供養につき開帳を認める綸旨が勧進聖本願に発給される。
出典:『大乗院寺社雑事記』同年月日条

康正2年 1456年 4月25日
長谷寺舞台供養が行われる。導師は尋尊。読師は兼雅。
出典:『大乗院寺社雑事記』同年月日条

康正2年 1456年 5月5日
長谷寺において小五月会が行われる。
出典:『大乗院寺社雑事記』同年月日条

康正2年 1456年 -月-日
太田資長が江戸(武蔵国)に築城を開始する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第253「太田資長」の項

康正3年 1457年 2月25日
足利義政が三条坊門小八幡、祇園社北野社に参詣する。
出典:『北野天満宮史料 古記録』(北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年)

康正3年 1457年 2月28日
上総荘のことにつき大乗院と一乗院の間で相論が発生。大乗院より長谷寺執行へ人勢を率い上洛するよう命令が下る。
出典:『大乗院寺社雑事記』同年月日条

康正3年 1457年 3月8日
信貴山塔婆勧進のため興福寺を訪れ尋尊に奉加帳への判(奉加)を募る。また、門下が勧進に応じるよう大乗院に命じてもらう。
出典:『大乗院寺社雑事記』同年月日条

康正3年 1457年 4月8日
江戸城(武蔵国)が完成する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第253「太田資長」の項

康正3年 1457年 5月11日
長谷寺より尋尊に雑紙100束が送られる。
出典:『大乗院寺社雑事記』同年月日条

康正3年 1457年 6月17日
長谷寺菩薩院にて蓮華会が行われる。
出典:『大乗院寺社雑事記』同年月日条

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