総年表 検索


和暦 :   西暦 :   月  日 
事項 :   
出典 :   


慶長16年 1611年 10月17日
徳川家康江戸城(武蔵国)の「新城」に赴き、徳川秀忠と対面する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 10月18日
江戸(武蔵国)詰めの諸大名が徳川家康に対面しようと江戸城(武蔵国)に登城する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 10月19日
本願寺教如・観如父子が山科(山城国)へ物見遊山をする。
出典:『御堂日記』同年月日条(『真宗本廟(東本願寺)造営史』)

慶長16年 1611年 10月19日
江戸湾に白鳥が多く飛んでいるのを見た徳川家康が、鉄砲の名手を引き連れ船にて海上に出るが、波が高く鉄砲の狙いが定まらないため江戸城(武蔵国)に帰城する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 10月19日
松平忠直に嫁いだ勝姫(徳川秀忠の娘)を越前国に送るべく供奉していた土井利勝江戸城(武蔵国)に戻る。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 10月20日
徳川家康が源誉存応と対面する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 10月20日
本願寺教如が大坂に下向する。
出典:『御堂日記』同年月日条(『真宗本廟(東本願寺)造営史』)

慶長16年 1611年 10月20日
朝、徳川秀忠本多正純大久保長安安藤直次成瀬正成永井直勝松平正久後藤光次長谷川藤広に茶と鶴料理を賜う。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 10月21日
徳川家康が江戸(武蔵国)近辺にて鷹狩を行う。
江戸城(武蔵国)の南庭にて能10番が催される。家康、徳川秀忠山科言緒冷泉為満舟橋秀賢等が見物する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 10月22日
本願寺教如が大坂より東本願寺に帰寺する。
出典:『御堂日記』同年月日条(『真宗本廟(東本願寺)造営史』)

慶長16年 1611年 10月22日
徳川家康が江戸(武蔵国)にて能を催す。家康は江をはじめ江戸(武蔵国)に人質として来ている諸大名の妻・子女を招く。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 10月23日
徳川家康が江戸(武蔵国)近辺にて鷹狩を行う。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 10月24日
徳川家康江戸城(武蔵国)の本城に赴く。大門にて徳川秀忠が出迎える。座席の縁上にて徳川竹千代・国松兄弟が家康の左右の手をとる。家康は江とも対面する。その後、埦飯が行われる。
本多正信が家康のもとを訪れ「天下政務」について雑談する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 10月25日
徳川家康が増上寺に赴く。源誉存応に銀100枚、被物10領を贈る。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 10月25日
徳川秀忠が茶壺(銘 鎮西)の口を切る。「数寄屋」にて、本多正信本多正純大久保長安安藤直次成瀬正成村越直吉永井直勝松平正久後藤光次長谷川藤広を召し、鶴料理と茶を振る舞う。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 10月26日
徳川家康が戸田に鷹狩に赴く。安藤重信が諸事を差配する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 10月27日
徳川秀忠が金春太夫、下間仲之を召し出し、江戸城(武蔵国)にて能を催す。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 10月29日
徳川家康が川越(武蔵国)に赴く。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 11月1日
徳川家康が鷹狩をする。南光坊天海、仙波北院が家康に謁す。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 11月2日
徳川家康が鷹狩をする。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 11月3日
徳川家康が鷹狩をする。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 11月5日
徳川家康が忍(武蔵国)の鷹場にて鷹狩をする。徳川秀忠が家康のもとに使者として土井利勝を遣わす。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 11月6日
徳川秀忠が鴻巣(武蔵国)の鷹場にて鷹狩をする。忍(武蔵国)に居る徳川家康より成瀬正成安藤直次永井直勝松平正久後藤光次長谷川藤広が秀忠のもとに赴く。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 11月7日
忍(武蔵国)にいる徳川家康のもとに源誉存応が訪れる。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 11月8日
徳川家康が忍(武蔵国)の鷹場にて鷹狩をする。が忍に居る家康のもとを訪れ、馬10匹・鷹10連を献上する。政宗は忍より江戸(武蔵国)に向かう。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 11月9日
新田義重に征夷将軍贈官につき、新田(上野国)にて代々の菩提所を建立するにあたり、源誉存応、土井利勝成瀬正成が地形を視察に赴く。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 11月10日
徳川家康が忍(武蔵国)にて鷹狩をする。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 11月10日
徳川義俊が疱瘡を発症する。
出典:『駿府記』同年月12日条

慶長16年 1611年 11月11日
徳川家康が忍(武蔵国)にて鷹狩をする。
夜、南部利直が家康に茶を献上する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 11月12日
徳川家康が忍(武蔵国)にて鷹狩をする。駿府城(駿河国)にて、10日に徳川義俊が疱瘡を発症したとの報が家康のもとにもたらされる。家康は、明朝、駿府城へ帰還することを決める。
出典:『駿府記』同年月日条

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.