慶長16年 1611年 11月13日 |
朝、徳川家康が忍(武蔵国)を発ち、川越(武蔵国)に到着する。鴻巣(武蔵国)にて鷹狩をしていた徳川秀忠が川越に居る家康のもとに赴く。 秀忠が本多正純、安藤直次、永井直勝、松平正久、後藤光次、長谷川藤広に黄金・馬・服を下賜する。 夜、源誉存応、成瀬正成、土井利勝が上野国より川越にいる家康のもとに赴き、新田義重・義貞の菩提所について旧跡が存在したことを報告する。家康のそのことを喜ぶ。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 11月14日 |
徳川家康が府中(武蔵国)に到着する。徳川秀忠は江戸城(武蔵国)に帰城する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 11月15日 |
徳川義俊の疱瘡が治癒する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 11月15日 |
徳川義俊の疱瘡治癒の報が徳川家康にもたらされる。安堵した家康は鷹狩を行うとして稲毛(武蔵国)に宿泊する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 11月16日 |
鷹司信房の子・信尊が興福寺大乗院に入室し得度する。 |
出典:『春日社司祐範記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 11月16日 |
徳川家康が鷹狩をする。家康は神奈川(武蔵国)に宿泊する。暇乞いとして徳川秀忠が神奈川にいる家康のもとを訪れる。対面の後、秀忠は家康に鷹を贈る。秀忠は金蔵寺に宿泊する。 上杉景勝が神奈川にいる家康のもとを訪れ、綿子500挺、馬1疋を献上する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 11月17日 |
大風のため徳川家康は予定していた鷹狩を中止し、神奈川(武蔵国)に逗留する。徳川秀忠も神奈川に留まり家康と雑談する。 本多正信が家康と雑談する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 11月17日 |
未刻(13-15時)、伏見町の家1000余軒が火災により焼失する(亀井茲矩邸、島津以久邸、古田重治邸、稲葉方通邸、田中忠政邸、池田長吉邸、石川長門守邸、森忠政邸、毛利高政邸、加藤左衛門佐邸、日根野高継邸、堀忠俊邸、筒井慶之邸、松平重勝邸、山内忠義邸、伊達政宗邸、松平忠昌邸、永井直勝邸が焼失)。 |
出典:『駿府記』同年月22日条 |
慶長16年 1611年 11月18日 |
徳川家康が鷹狩をする。家康は藤沢(相模国)に到着する。徳川秀忠は江戸城(武蔵国)に帰城する。 夜、玄恵が家康と対面し、仏法について雑談する。家康は増上寺上葺料として銀100枚を玄恵に下賜する。 家康が鎌倉荘厳院と対面する。荘厳院所持の『保暦間記』を閲覧する。 佐竹義宣が藤沢(相模国)にいる家康のもとを訪れ、蝋燭1000挺を献上する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 11月19日 |
徳川家康が鷹狩をする。家康は中原(相模国)に到着する。 鎌倉荘厳院が『保暦間記』を家康の前で読む。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 11月20日 |
徳川家康が鷹狩をする。家康は小田原城(相模国)に到着する。小田原城主・大久保忠隣は子・忠常の死去につき、憚って家康との対面を遠慮する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 11月21日 |
徳川家康が三島(伊豆国)に到着する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 11月22日 |
徳川家康が鷹狩をする。家康は今泉(駿河国)に到着する。 家康のもとに伏見(山城国)より飛脚が到来し、17日の未刻(13-15時)、伏見町の家1000余軒が火災により焼失したと家康に伝える。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 11月23日 |
徳川家康が駿府城(駿河国)に帰城する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 11月24日 |
日野唯心、円光寺が徳川家康のもとに出仕する。 徳川秀忠の使者として土井利勝が駿府城(駿河国)にいる家康のもとを訪れ、家康の駿府城への無事の帰城を賀す。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 11月26日 |
徳川家康に池田長吉が銀台子1飾・御服10領を、浅野氏重が御服5領を献上する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 11月25日 |
子息の観如が死去する。 |
出典:『御堂日記』同年月日条(『真宗本廟(東本願寺)造営史』) |
慶長16年 1611年 11月28日 |
徳川家康が明国の商船の商売地を長崎(肥前国)に一元化する。長谷川藤広がその許可書を発行することとする。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 11月29日 |
角倉素庵が駿府城(駿河国)に居る徳川家康のものを訪れる。与一は方廣寺大仏殿の瓦葺きが成ったこと、父・了以とともに、淀(山城国)・鳥羽(山城国)の船が三条橋まで乗り入れることができるよう鴨川を開削したこと、この開削により禁裏造営時に材木の搬入ができるようになったことを家康に報告する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 11月30日 |
伊達政宗が徳川家康に初鱈を献上する。取次は後藤光次。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 12月1日 |
徳川家康が府中(駿河国)にて鷹狩をする。その折、水を張っている田地をみつけ、彦坂光正・畔柳寿学・松下浄慶に命じて、当該田地の名主10余名を捕縛する。その理由は、毎年、収穫後の田地には水を張らないように触れをだしているにもかかわらず、その触れを破ったためであるという。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 12月2日 |
徳川義俊の疱瘡平癒を祝す豊臣秀頼の直書が駿府城(駿河国)にいる徳川家康のもとに届く。 家康が在駿府の諸侍に関東での鷹狩で得た白鳥を振る舞う。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 12月4日 |
徳川家康が府中(駿河国)にて鷹狩をする。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 12月6日 |
子・観如の葬礼を執行する。 |
出典:『御堂日記』同年月日条(『真宗本廟(東本願寺)造営史』) |
慶長16年 1611年 12月7日 |
徳川家康に寺沢広高が銀50枚・緞子10巻を、寺沢忠晴が銀50枚を献上する。 本多康紀が家督相続後、初めて家康に謁す。 家康が安藤重信を召し、明年、江戸(武蔵国)の船入の普請を中国・九州の諸大名に命じるよう伝える。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 12月8日 |
徳川家康が鷹狩をする。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 12月10日 |
徳川家康が府中(駿河国)にて鷹狩をする。 織田有楽斎が駿府城(駿河国)に到着する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 12月11日 |
徳川家康が鷹狩をする。 夜、有馬直純が家康に謁し、綾子10巻を献上する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 12月12日 |
夜、徳川家康が幸若大夫を召し出し舞曲を催す。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 12月14日 |
朝、徳川家康が駿府城(駿河国)の数寄屋にて織田有楽に茶を賜う。日野唯心、山名禅高が相伴する。楢柴肩衝、朱衣肩衝、虚堂の掛物、古銅の花入で数寄屋を設える。花は家康が生け、茶は有楽斎が点てる。 その後、有楽が家康に黄金3枚、御服5領を献上する。 徳川義俊の疱瘡平癒を賀すとして豊臣秀頼が銀300枚、御服10領を義俊に贈る。使者は石川貞政。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |