慶長16年 1611年 9月17日 |
本多正純が駿府城(駿河国)の邸宅にて、土井利勝、渡辺山城守、長谷川筑後守等を招き酒宴を催す。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 9月18日 |
松平忠直に嫁ぐ勝姫(徳川秀忠の娘)が越前国に向かうべく駿府城(駿河国)を出立する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 9月19日 |
伊達政宗が大鷹を、浅野幸長が父・長政遺物の刀(銘 長光)・茶壺(銘 鎮西)を、最上家親が大鷹を徳川家康に進上する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 9月22日 |
施薬院宗伯が駿府城(駿河国)に到着し、徳川家康、与安法印を本草について雑談する。 堀尾吉晴が遺物として金100枚、真壺を家康に献上する。 家康が畔柳寿学に江尻橋の改築を命じる。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 9月23日 |
本多正信が徳川家康に鮭を献上する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 9月24日 |
徳川家康が府中(駿河国)近辺で鷹狩をする。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 9月25日 |
駿府城(駿河国)の徳川家康のもとに板倉勝重より松茸1籠、紅柿2籠が届く。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 9月26日 |
徳川家康が徳川頼宣付の安藤直次、水野重央、彦坂光正に遠江国内にて所領を宛行う。 毛利宗瑞が梨5籠を、大久保忠隣が生鮭・干鮭を、間宮新左衛門が朝倉山椒3箱を家康に献上する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 9月27日 |
辰刻(7-9時)、徳川家康が駿府(駿河国)の藤堂高虎邸を訪れる。家康に徳川頼宣、本多正純、安藤直次、成瀬正成、村越直吉、永井直勝、松平正久、水野重央、西尾丹後守、竹腰正信、秋元泰勝、板倉重昌、後藤光次、長谷川藤広、浅井七平、大岡兵蔵、佐久間頼勝、日根野左京亮、高力河内守、北見長五郎、野尻万介等が供奉する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 9月28日 |
駿府(駿河国)の藤堂高虎邸にて能が催され、徳川家康が見物する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 9月29日 |
毛利就隆が駿府城(駿河国)に居る徳川家康に謁し、銀100枚を、福原広俊が鞢10具を献上する。 亀井茲矩が家康に謁し、銀100枚、鉄砲1挺を献上する。 伊達政宗が鮭10箇を家康に献上する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 9月30日 |
徳川頼宣が駿府城(駿河国)二ノ丸の頼宣邸に藤堂高虎を招き饗応する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 10月1日 |
山科言緒、舟橋秀賢、冷泉為満が駿府城(駿河国)に到着し、徳川家康のもとを訪れる。3名は家康に謁し、秀賢が家康に諸家略系図、屏風1隻を献上する。 家康が舟橋秀賢、下間仲之を召す。仲之に銀30枚、被物1重を下賜する。 家康、日野唯心、秀賢、円光寺、金地院崇伝が京都の院内や和漢・古今について論じる。 家康が藤堂高虎に加藤虎之助の領国経営の後見を命じる。10月2日に高虎は肥後国出立することとなる。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 10月2日 |
駿府城(駿河国)にて山科言緒、舟橋秀賢、冷泉為満、円光寺、金地院崇伝が徳川家康に召され饗食を賜う。 山岡修理が銀100枚を、山岡新太郎が羽織2領を家康に献上する。 岩本坊が西楽院遺物として三大部60巻を家康に進上する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 10月3日 |
所々の代官が納米の代価 金19000両を駿府城(駿河国)の「殿守御庫」に納める。 呂宋国に御書と進物として腰刀・脇刀各1柄を送る。長谷川左兵衛が担当。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 10月4日 |
中井正清が駿府城(駿府城)に居る徳川家康のもとに訪れ、前殿等造替を報告する。また、方廣寺大仏殿の大虹梁立てについて、容易に成し遂げることができることを家康に伝え、家康は喜悦する。 徳川秀忠が家康に生鮭を贈る。 片桐貞隆が御服3領・渋紙200張を、生駒正俊が紫皮100枚を家康に進上する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 10月5日 |
徳川秀忠が駿府城(駿河国)に居る徳川家康のもとに使者として成瀬正武を遣わす。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 10月6日 |
巳刻(9-11時)、徳川家康が鷹狩と称して関東の向かうべく駿府城(駿河国)を出立する。供奉は本多正純、安藤直次、成瀬正成、村越直吉、松平正久、後藤光次。駿府八幡辺で鷹狩をする。 日野唯心に米50石、水無瀬一斎に米80石、山科言緒・舟橋秀賢・冷泉為満に黄金1枚・被物2領を家康が下賜する。 家康が狩野を召し、大内図・日本大社図を新たに作成するよう命じる。 家康は清水(駿河国)に宿泊する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 10月7日 |
朝、徳川家康が清水(駿河国)を出立する。今泉の善応寺に宿泊する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 10月8日 |
徳川家康が三島(伊豆国)に宿泊する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 10月9日 |
徳川家康が大久保忠隣を召し出し、忠隣の子・忠常の病の容態を訪ねる。本多正信が迎えとして家康のもとを訪れる。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 10月10日 |
徳川家康が中原(相模国)に宿泊する。徳川秀忠の命により安藤重信が家康の御膳を用意する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 10月11日 |
徳川家康が中原(相模国)に逗留する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 10月11日 |
朝、大久保忠常が死去する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 10月12日 |
徳川家康が相模川まで移動するが、雨により中原(相模国)に引き返し逗留する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 10月13日 |
徳川家康が藤沢(相模国)に宿泊する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 10月14日 |
徳川家康が神奈川(武蔵国)に到着する。江戸城(武蔵国)より徳川秀忠が出向き雑談する。秀忠は江戸城に戻り、家康は神奈川にて宿泊する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 10月14日 |
釈迦堂本願上人に清凉寺本尊の開帳を幕府が認める。 |
出典:慶長16年10月14日付金地院崇伝・円光寺元佶・板倉勝重連署状写(『本光国師日記』) |
慶長16年 1611年 10月15日 |
徳川家康が稲毛(武蔵国)に宿泊する。途中、鷹狩をする。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長16年 1611年 10月16日 |
徳川家康が江戸城(武蔵国)に到着する。江戸詰めの諸大名が家康を出迎える。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |