総年表 検索


和暦 :   西暦 :   月  日 
事項 :   
出典 :   


寛永2年 1625年 4月27日
毛利輝元が死去する。
出典:-

寛永2年 1625年 6月29日
菅正利が死去する。
出典:『菅氏世譜

寛永2年 1625年 7月2日
琢如が生まれる。
出典:-

寛永2年 1625年 7月24日
後藤光次が死去する。
出典:-

寛永2年 1625年 7月27日
徳川秀忠向井忠勝に相模国三浦郡、上総国望陀郡・周准郡内の地を加増し合わせて6000石を給付する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第103「清和源氏 義家流 足利支流 向井」「向井忠勝」の項

寛永2年 1625年 7月27日
徳川秀忠津金胤卜に武蔵国榛沢郡内にて750石を給付する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第173「津金胤卜」の項

寛永2年 1625年 9月20日
富井乗清が東本願寺に出仕し本願寺宣如に仕える。
出典:『東本願寺家臣名簿』

寛永2年 1625年 9月21日
吉川広家が死去する。
出典:-

寛永2年 1625年 9月25日
菅正俊が筑前国福岡にて生まれる。
出典:『菅氏世譜

寛永2年 1625年 9月25日
子・正俊が筑前国福岡にて生まれる。
出典:『菅氏世譜

寛永2年 1625年 10月18日
加藤重常が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第776「加藤重常」の項

寛永2年 1625年 10月23日
徳川秀忠油川信貞に武蔵国都築郡、上総国埴生郡、同国武射郡内で350石を給付する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第147「油川信貞」の項

寛永2年 1625年 11月25日
古田重治が死去する。
出典:-

寛永2年 1625年 12月11日
徳川秀忠安西正重に350石を新たに給付する。正重は総じて850石を領す。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第582「安西元重」の項

寛永2年 1625年 12月19日
永井直勝が死去する。
出典:-

寛永2年 1625年 -月-日
徳川秀忠徳川忠長の家臣として野呂守景を付ける。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第1153「野呂守景」の項

寛永3年 1626年 1月18日
能勢頼次が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第272「能勢頼次」の項

寛永3年 1626年 3月11日
徳川秀忠酒井忠勝に武蔵国忍内にて20000石を加増する(総じて50000石)。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第61「酒井忠勝」の項

寛永3年 1626年 4月8日
石川貞清が死去する。
出典:-

寛永3年 1626年 4月15日
子・茶々丸が得度し、法号を良如、諱を光円と名乗る。
出典:『紫雲殿由縁起』(『真宗全書』36巻p351)

寛永3年 1626年 閏4月21日
三宝院義演が死去する。
出典:-

寛永3年 1626年 閏4月28日
山岡重長が死去する。
出典:-

寛永3年 1626年 5月22日
佐竹義宣が鉄砲200挺、弓50張、長柄100本、騎馬120騎を備え、上洛すべく江戸(武蔵国)を発す。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第129「清和源氏 義家流 佐竹」「佐竹義宣」の項

元和7年 1621年 6月5日
生駒正俊が死去する。
出典:-

寛永3年 1626年 6月19日
佐竹義宣が四条(山城国)の屋敷に到着する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第129「清和源氏 義家流 佐竹」「佐竹義宣」の項

寛永3年 1626年 6月20日
下間頼廉が死去する。
出典:-

寛永3年 1626年 6月23日
油川信貞が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第147「油川信貞」の項

寛永3年 1626年 6月25日
徳川秀忠・家光父子が参内する。島津家久が供奉する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津家久(忠恒)」の項

寛永3年 1626年 8月6日
脇坂安治が京都(山城国)にて死去する。
出典:『脇坂家伝記

寛永3年 1626年 8月11日
徳川秀忠が腫物を患った佐竹義宣に但馬国での湯治を勧める。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第129「清和源氏 義家流 佐竹」「佐竹義宣」の項

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.