人 物 史

島津師久 しまづ もろひさ
生 没 年正中2年(1325)8/16-永和2年(1376)3/21
出 身薩摩国出水郡木牟礼幼 名生駒丸
別 称三郎左衛門尉
法 名道貞
戒 名定山道貞
島津貞久大友親時の娘
兄 弟 姉 妹川上頼久、島津宗久島津師久島津氏久、島津光久、島津氏忠、女、女、女
配 偶 者-
島津伊久
官 位大夫判官、上総介
役 職-
城 郭木牟礼城(薩摩国)
参 考 文 献○『寛政重修家譜』巻第108「清和源氏 為義流 島津」「島津師久」
関 連 デ ー タ-
島津師久 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
正中2年13258161島津師久が木牟礼城(薩摩国)にて生まれる。『寛政重修諸家譜』巻第108「島津師久」の項
正中2年132511121祖父・忠宗が薩摩国にて死去する。『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠宗」の項
元徳1年13298295「嘉暦」より「元徳」に年号が改まる。-
元弘1年1331897「元徳」より「元弘」に年号が改まる。-
正慶1年13324288「元弘」より「正慶」に年号が改まる。『桜雲記』巻之上
正慶2年13335229新田義貞が幕府の拠点である鎌倉(相模国)を制圧する。北条高時北条基時が自害する。『関城書裏書』
元弘3年1333679後醍醐天皇が大内裏に還幸する。元号を正慶から元弘に戻す。『関城書裏書』
建武2年1335121311箱根・竹ノ下の合戦で足利尊氏と尊良親王・新田義貞が戦い、尊氏が勝利する。『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上
建武3年133613012後醍醐天皇が京都に還幸する。『大乗院日記目録』同年月日条
建武3年133621312桜山にて足利尊氏足利直義兄弟と新田義貞北畠顕家楠木正成が戦い、新田勢が勝利する。尊氏・直義は九州に逃れる。『桜雲記』巻之上
延元1年133622912「建武」より「延元」に年号を改める。『桜雲記』巻之上、『大乗院日記目録』同年月条
延元1年133652512湊川(摂津国)にて足利尊氏新田義貞が戦い、尊氏が勝利する。楠木正成が戦死する。-
延元1年1336101012後醍醐天皇延暦寺より京都に還幸する。帝位を恒良親王に譲位する。『大乗院日記目録』同年月日条
延元1年1336122012後醍醐天皇が京都を潜に抜け出し吉野(大和国)に行幸する。『大乗院日記目録』同年月日条
暦応2年・延元4年133981615後醍醐天皇が崩御する。『大乗院日記目録』同年月日条
暦応3年・興国1年13401416阿蘇山が噴火する。上宮奇瑞覚書(「阿蘇学頭坊文書」)
暦応3年・興国1年134042416兄・宗久が死去する。『寛政重修諸家譜』巻第108「島津宗久」の項
観応1年135012926足利直義が南朝に降伏する。『大乗院日記目録』同年月日条
観応2年・正平6年1351121527薩唾山の合戦で足利尊氏足利直義が戦い尊氏が勝利する。直義は尊氏に降伏する。『大乗院日記目録』同年月日条
観応3年・正平7年135222628足利直義が死去する。毒殺が噂される。『大乗院日記目録』同年月日条
延文3年・正平13年135842934足利尊氏が死去する。『大乗院日記目録』同年月日条
貞治2年・正平18年13637339父・貞久が薩摩国にて死去する。『寛政重修諸家譜』巻第108「島津貞久」の項
貞治6年・正平22年1367112543足利義詮が政務を子・義満に譲り、細川頼之を管領とする。『愚管記』同年月26日条
応安3年・建徳1年137072446「正平」より「建徳」に南朝の年号が改まる。-
永和2年・天授2年137632152島津師久久が死去する。『寛政重修諸家譜』巻第108「島津師久」の項
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