人 物 史

鳴海寿世 なるみ ながよ
生 没 年弘治3年(1557)-慶長14年(1609)
出 身-幼 名-
別 称五郎右衛門、円斎
法 名-
戒 名-
木村連清-
兄 弟 姉 妹木村清持、鳴海寿世
配 偶 者-
鳴海寿幸、鳴海寿継、娘(堀正善の妻)
官 位-
役 職-
城 郭-
参 考 文 献国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重修諸家譜 第2輯 刊本
関 連 デ ー タ-
鳴海寿世 年表
弘治3年 1557年 -月-日 1歳
鳴海寿世が死去する。
*『寛政重修諸家譜』巻第205「鳴海寿世」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第205「鳴海寿世」の項

弘治4年 1558年 2月28日 2歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

元亀1年 1570年 4月23日 14歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 17歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正10年 1582年 6月2日 26歳
本能寺に宿泊中の織田信長を、早朝、明智光秀が襲撃する。信長は自害する。また、光秀は二条殿に籠城する織田信忠とその小姓勢を討ち取る。
信長勢:森成利(戦死)、福富秀勝(戦死)、野々村正成(戦死)。
信忠勢:村井貞勝(戦死)、菅屋長頼(戦死)、織田信房(戦死)、団忠正(戦死)。
出典:『多聞院日記』同年月日・3日条

文禄1年 1592年 12月8日 36歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

文禄4年 1595年 7月15日 39歳
豊臣秀次高野山青巌寺にて切腹する。秀次家臣・木村重茲が秀次に連座し大門寺(摂津国)にて切腹する。
出典:『当代記』巻3 同年月日条

文禄4年 1595年 -月-日 39歳
鳴海寿世徳川秀忠に仕える。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第205「鳴海寿世」の項

慶長1年 1596年 10月27日 40歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-

慶長3年 1598年 8月18日 42歳
豊臣秀吉が死去する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長8年 1603年 2月12日 47歳
朝廷にて徳川家康の征夷大将軍就任および右大臣転任についての陣儀が行われる。家康を淳和奨学院別当、源氏長者、牛車兵杖等に宣下することに決まる。陣儀の上卿が伏見の家康邸に赴き、家康に征夷大将軍就任の旨を言い渡し、家康が征夷大将軍となる。
池田輝政が右近衛少将に、板倉勝重が従五位下・伊賀守に叙位・任官。
出典:『慶長日件録』同年月日条、『当代記』巻3同年月日条

慶長10年 1605年 4月16日 49歳
徳川秀忠が征夷大将軍宣下を受ける。
板倉重宗が従五位下・周防守に叙位・任官。
出典:『義演准后日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第81「板倉重宗」の項

慶長14年 1609年 -月-日 53歳
鳴海寿世が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第205「鳴海寿世」の項

人物リストに戻る

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.