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石高から軍役算出
軍役から石高算出
城 郭 史
小諸城(信濃国)
こもろじょう
築 城 年
-
築 城 者
-
改 築 年
-
改 築 者
-
廃 城 年
-
別 称
酔月城、穴城、白鶴城、鍋蓋城
現 所 在 地
〒384-0804
長野県小諸市丁311
史 料 地 名
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
リ ン ク
仙石秀久
、
仙石忠政
小諸城(信濃国) 年表
慶長5年 1600年 9月1日
徳川家康
が東海道より上方に向け
江戸城
(武蔵国)を発つ。
徳川秀忠
が東山道より上方に向け江戸城を発つ。
秀忠勢:
榊原康政
、
大久保忠隣
、
本多正信
、
酒井忠世
、
酒井忠利
、
酒井忠勝
、
酒井家次
、
本多忠政
、
松平忠利
、石川康長、牧野貞成、
神尾守世
、
青木信安
、
真田信幸
、
仙石秀久
、日根野吉重、
森忠政
、
折井次忠
[大久保忠隣勢]、
柳沢信俊
[大久保忠隣勢]、山高親重[大久保忠隣勢]、山寺信光、
辻久吉
、朝倉宣正、斎藤信吉、中山照守、戸田光正、小野忠明、鎮目惟明、太田吉正、
跡部久清
。
江戸城の留守居として
松平康元
を置く。
出典:『関原始末記』、『上田軍記』下「秀忠公上田城エ御発向之事」、『寛政重修諸家譜』巻第52「松平康元」の項、同166「折井次忠」の項、同173「跡部久清」、同398「辻久吉」の項
慶長5年 1600年 9月4日
徳川秀忠
の軍勢が小諸城(信濃国)に到着する。
出典:『上田軍記』下「秀忠公上田城エ御発向之事」
慶長5年 1600年 9月5日
徳川秀忠
が
真田昌幸
の持ち城である砥石城(信濃国)を占拠し、真田信幸を入れ置く。
出典:(慶長5年)9月5日付徳川秀忠書状(『浅野家文書』112)
慶長5年 1600年 9月7日
徳川秀忠
が
真田昌幸
・
信繁
父子の籠る
上田城
(信濃国)を攻めも、昌幸・信繁が秀忠勢を退ける。
徳川勢:
榊原康政
、
大久保忠隣
、
本多正信
、
酒井忠世
、
酒井忠利
、
酒井忠勝
、
酒井家次
、
本多忠政
、
松平忠利
、
神尾守世
、
青木信安
、
岩間正時
、
折井次忠
[大久保忠隣勢]、
柳沢信俊
[大久保忠隣勢]、山高親重(大久保忠隣勢)、
木内蕃正
[本多正信勢]、
辻久吉
、朝倉宣正、斎藤信吉、中山照守、戸田光正、小野忠明、鎮目惟明、太田吉正、
跡部久清
。
出典:『上田軍記』下「秀忠公上田城エ御発向之事」、『寛政重修諸家譜』巻第3「松平忠利」の項、同59「酒井忠世」の項、同61「酒井忠利」の項、同61「酒井忠勝」の項、同65「酒井家次」の項、同126「森忠政」の項、同160「山高親重」の項、同163「柳沢信俊」の項、同166「折井次忠」の項、同173「跡部久清」の項、同964「岩間正時」の項、同巻第964「木内蕃正」の項、同1043「神尾守世」の項
慶長19年 1614年 5月6日
小諸城
(信濃国)にて
仙石秀久
が死去する。
出典:『当代記』同年月12日条
慶長19年 1614年 7月17日
午刻(11-13時)、駿府(駿河国)にて風雨があり、夜、風が強くなる。
仙石忠政
が
駿府城
(駿河国)にいる
徳川家康
に父・
秀久
死去につき、継目の礼をする。銀100枚・絹50疋・帷子・単物10領、秀久遺物として金100枚・脇差(銘 長光)・茶壺を献上する。
本多正純
が披露する。
出典:『駿府記』同年月日条
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