人 物 史

冷泉為純 れいぜい ためずみ
生 没 年享禄3年(1530)-天正6年(1578)
出 身-幼 名-
別 称為房
法 名-
戒 名-
冷泉為豊-
兄 弟 姉 妹冷泉為純、紹仲、寿泉、宗韶
配 偶 者-
冷泉為勝、教勝、藤原惺窩、宗曼
官 位侍従
氏 族 門 流-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
冷泉為純 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
享禄3年1530--1冷泉為純が生まれる。『系図纂要』「冷泉」
天正4年15765247公家衆の二条晴良九条兼孝一条内基、西園寺公朝、近衛信基、三条西実枝、、中山孝親菊亭晴季徳大寺公維飛鳥井雅敦山科言継庭田重保、高辻長雅、葉室頼房持明院基孝柳原淳光四辻公遠、甘露寺経元、水無瀬兼成、高倉永相、山科言経、庭田重通、勧修寺晴豊正親町実彦、中山親綱、松木宗房、中院通勝、富小路千夜叉(秀直)、唐橋尊松(在通)、烏丸光宣、五辻為仲、冷泉為純、雅敦、大炊御門経頼、日野輝資、竹内長治、東坊城盛長水無瀬親具、白川雅朝、久我季通、西洞院時通、中御門宣教、広橋兼勝、高倉永孝、冷泉、葉室長教、四辻季満、高倉範国、万里小路充房、四条隆昌、橋本実勝、冷泉俊久、薄以継、五辻元仲、五条為名、門跡衆の仁和寺守理、青蓮院尊朝、妙法院常胤、聖護院道澄大覚寺尊信、勧修寺聖信、三宝院義演、実相院が妙覚寺に滞在中の織田信長のもとに礼に訪れる。公家衆からの進物を村井貞勝が披露する。
山科言継山科言経、葉室頼房、葉室長教、冷泉、薄以継が二条晴良邸の跡地に建てた信長の屋敷を見物する。
『言経卿記』同年月日条、『兼見卿記』同年月日条
天正4年15765547山科言継山科言経冷泉為純葉室頼房村井貞勝のもとへ礼に訪れる。『言経卿記』同年月日条
天正4年15765947勧修寺晴右、甘露寺経元、中山孝親冷泉為純村井貞勝が、織田信長本願寺顕如の戦いについて話し合う。貞勝は禁裏よりすぐに勅使を派遣するように4名に要請し、晴右が明日にでも勅使を派遣すると返答する。『兼見卿記』同年月日条
天正4年157652547山科言経冷泉為純北野社に参詣する。『言経卿記』同年月日条
天正4年15766647織田信長が、石清水八幡宮より槙島(山城国)を経て、未刻(13-15時)に妙覚寺に入る。二条晴良昭実父子、近衛前久信基父子、飛鳥井雅敦勧修寺晴豊烏丸光康光宣父子、山科言継言経父子、持明院基孝中山孝親庭田重保葉室頼房広橋兼勝冷泉為純薄以継大乗院尋憲一乗院尊政大覚寺尊信聖護院道澄が訪れ、対面する。『言継卿記』同年月日条、『兼見卿記』同年月日条、『言経卿記』同年月日条
天正4年157662247薄以継山科言経冷泉為純葉室頼房の見舞いに訪れる。頼房の病状が和らぐ。『言経卿記』同年月日条
天正4年157662447寅刻(3-5時)、葉室頼房山科言経、薄以継の伯父)が死去する。
言経、薄以継冷泉為純誓願寺に参詣する。
『言経卿記』同年月日条
天正4年157662747誓願寺山科言経冷泉為純が参詣する。『言経卿記』同年月日条
天正4年15768547山科言経冷泉為純北野社に参詣する。『言経卿記』同年月日条
天正6年15784149冷泉為純が死去する。『系図纂要』「冷泉」
人物リストに戻る

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.