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地 名 の 歴 史
膳所(近江国)
ぜぜ
初 見
-
国
近江国
郡
志賀郡
荘 園
-
中 世 高
-
近 世 領 主
-
近 世 石 高
-
鎮 守
-
神 社
-
寺 院
-
城 郭
膳所城
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
膳所(近江国) 年表
天正10年 1582年 6月5日
羽柴秀吉
が
中川清秀
に
織田信長
・
信忠
父子が
福富秀勝
の働きにより
膳所
(近江国)に逃れ無事であることを伝える。そのうえで秀吉自身は
姫路城
(播磨国)に戻ることを伝える。清秀に書状を発した際、秀吉は備前国野殿におり、この日のうちに備前国沼まで戻ろうとしていることを清秀に伝える。
岡本良勝に日幡城(備中国)主・上原元祐の人質を預かり世話するように命じる。
出典:天正10年6月5日付羽柴秀吉書状(『豊臣秀吉文書集』1巻-424号)
慶長6年 1601年 6月1日
徳川家康
が戸田一西に
膳所
(近江国)を給付する。
出典:『関原始末記』
慶長19年 1614年 10月23日
卯刻(5-7時)、
徳川家康
が永原(近江国)を発ち、矢橋(近江国)より早船にて
膳所
(近江国)に到着する。船中、
戸田氏鉄
が家康に御膳を献じる。午刻(11-13時)、家康は
二条城
(山城国)に到着する。家康は、片桐孝利を召し出す。孝利はは、このたび
大坂城
(摂津国)で家康に別心を構えた者について報告する。
福島正則
が
豊臣秀頼
に送った使者が、二条城に戻ってくる。秀頼の正則への返書は無かったとされる。
家康が
片桐且元
、
藤堂高虎
を召し出し、大坂城の堀の深さを尋ねるとともに、大坂城攻めの諸口の様子を、絵図を用いながら聞く。
徳川秀忠
よりの使者として青山重長が家康のもとに到着する。家康は秀忠に出陣を指示する。
出典:『駿府記』同年月日条、『当代記』同年月日条、『綿考輯録』巻19、『佐久間軍記』、『寛政重修諸家譜』巻第59「酒井重忠」の項、同「酒井忠世」の項
慶長19年 1614年 11月9日
徳川秀忠
が膳所(近江国)に到着する。
出典:『当代記』同年月日条
慶長19年 1614年 11月10日
徳川秀忠
が永原(近江国)を出立する。
膳所
(近江国)にて
戸田氏鉄
が膳を献じる。
大津
・追分(近江国)にて公家衆・僧衆が秀忠を出迎える。追分にて
徳川義俊
、
徳川頼宣
が秀忠を出迎え、対面する。その後、
伏見城
(山城国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条、『当代記』同年月日条、『綿考輯録』巻19、『佐久間軍記』
慶長20年 1615年 1月3日
午刻(11-13時)、
徳川家康
が
駿府城
(駿河国)に帰城すべく
二条城
(山城国)を出立する。申刻(15-17時)、
膳所
(近江国)に到着する。
膳所城
(近江国)城主の
戸田氏鉄
が家康を饗応する。
出典:『駿府記』同年月日条、『当代記』同年月日条、『佐久間軍記』
慶長20年 1615年 1月4日
辰刻(7-9時)、
徳川家康
が船に乗り
膳所
(近江国)を出立する。
松平正久
、興安、
後藤光次
が同船する。矢橋(近江国)にて上陸し、申刻(15-17時)、
水口
(近江国)に到着する。代官の長野内蔵允が家康を饗応する。
出典:『駿府記』同年月日条、『当代記』同年月日条
慶長20年 1615年 4月18日
徳川家康
が
水口
(近江国)を出立し、矢橋(近江国)、
大津
(近江国)、
膳所
(近江国)を経由する。大津から膳所の船中で、
が家康に膳を献じる。午刻(11-13時)、船を下船する。山科(山城国)辺りで公家衆や京都の町衆が出迎え、未刻(13-15時)、
二条城
(山城国)に到着する。
徳川義俊
、
徳川頼宣
が京都に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条、『本光国師日記』同年月日条
元和1年 1615年 8月4日
午刻(11-13時)、
徳川家康
が
駿府城
(駿河国)に帰城すべく京都(山城国)を発つ。
膳所
(近江国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条、『黒田家譜』巻14「長政記」
元和1年 1615年 8月5日
早朝、
徳川家康
が、守山・草津(近江国)で起こった
松平忠輝
による
徳川秀忠
の家臣の長坂、伊丹が理不尽に殺害された旨を伝え聞く。家康は
本多正純
に命じて事件の詳細を調査させるも噂しかないため、家康は近江代官の長野友秀、小野宗左衛門、観音寺を召し出し事件の顛末を聞くと、長坂・伊丹が忠輝の前に出たため「狼藉」といって切り殺されたという。
巳刻(9-11時)、家康が矢橋(近江国)より船に乗り、
水口
(近江国)に宿泊する。
出典:『駿府記』同年月日条
元和3年 1617年 6月28日
徳川秀忠
が
膳所城
(近江国)に宿泊する。
出典:『本光国師日記』同年月日条
寛永11年 1634年 閏7月6日
徳川家光が
酒井忠勝
に若狭国一国、越前国敦賀郡、近江高島郡内(7000石余)の113500石を給付し、
小浜城
(若狭国)城主に、
石川忠総
を佐倉(下総国)から膳所(近江国)に移し、
膳所城
(近江国)城主とする。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第61「酒井忠勝」の項、同巻第118「石川忠総」の項
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