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事項 :   
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天文13年 1544年 3月18日
権中納言となる。
出典:『系図纂要』「四辻」

天文13年 1544年 3月19日
長門介となる。
出典:『公卿補任』天文15年

天文13年 1544年 3月21日
六角定頼が命じた勢多橋修復勧進について、本願寺証如が50貫文を奉加として出す。
出典:『天文日記』同年月日条

天文13年 1544年 4月24日
当麻寺を守護するようにと命じる西南院得業宛の綸旨を広橋国光が調える。
出典:天文13年4月24日付後奈良天皇綸旨「当麻寺文書」(『大日本仏教全書』118)

天文13年 1544年 7月9日
大洪水により京中の人馬が流出する。
出典:『厳助往年記』同年月日条

天文13年 1544年 7月9日
水害により大宮の橋が流れ落ちる。
(この日は京都大洪水)
出典:『厳助大僧正記』同年月日条

天文13年 1544年 7月26日
尼子国久誠久敬久父子、亀井安綱、牛尾幸清、平野又右衛門、神西三郎左衛門、池田、川副、宇山、松田、村井、熊野率いる尼子勢7000の攻撃を受けた三吉広隆を救援すべく、毛利元就が粟屋信賢、粟屋太郎左衛門、井上就信、福原貞俊、児玉就忠、長屋吉親を三吉(備後国)に遣わす。
出典:『陰徳太平記』巻14「備後国府野合戦之事」

天文13年 1544年 7月28日
国府野(備後国)にて尼子国久誠久敬久父子率いる尼子勢と三吉広隆及び福原貞俊・児玉就忠率いる毛利勢が戦い、国久が勝利する。
出典:『陰徳太平記』巻14「備後国府野合戦之事」

天文13年 1544年 9月3日
左近衛中将となる。
出典:『系図纂要』「冷泉」

天文13年 1544年 9月11日
竹中重治が生まれる。
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天文13年 1544年 9月22日
織田信秀斎藤道三の籠る稲葉山城(美濃国)を攻める。加納口で道三が織田勢を急襲し、信秀を退ける。織田信康が戦死する。
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天文13年 1544年 9月24日
按察使となる。
出典:『系図纂要』「柳原」

天文13年 1544年 9月-日
松平広忠の妻・於大の方を水野信元の居城・刈谷城(三河国)に送り届ける。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第59「酒井正親」の項

天文13年 1544年 10月-日
尼子国久誠久敬久父子、川副久盛、森脇長門守率いる尼子勢5000が小早川繁平の高山城(安芸国)を攻める。
出典:『陰徳太平記』巻15「尼子国久父子備作働キ之事」

天文13年 1544年 11月-日
尼子国久誠久敬久父子、川副久盛、森脇長門守率いる尼子勢5000が高田(美作国)・篠茨(美作国)・井王山(美作国)を攻める。
出典:『陰徳太平記』巻15「尼子国久父子備作働キ之事」

天文13年 1544年 12月12日
小早川徳寿丸より家督相続の祝儀として太刀1腰・馬1疋の贈答を受けた大内義隆が徳寿丸に礼状を発給する。
出典:同年月日条大内義隆書状(『吉川家文書』2-1482号)

天文13年 1544年 -月-日
弟・道澄が生まれる。
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天文13年 1544年 -月-日
子・道澄が生まれる。
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天文13年 1544年 -月-日
武田晴信清水寺本願 成就院に信濃国平定を祈願する願文を納める。
出典:天文22年12月18日付武田晴信書状(「成就院文書」)

天文14年 1545年 -月-日
板倉勝重が三河国小美村にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第81「板倉勝重」の項

天文14年 1545年 -月-日
増田長盛が生まれる。
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天文14年 1545年 -月-日
浅井長政が生まれる。
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天文14年 1545年 -月-日
子・長政が生まれる。
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天文14年 1545年 -月-日
六角義治が生まれる。
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天文14年 1545年 -月-日
子・義治が生まれる。
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天文14年 1545年 -月-日
孫・義治が生まれる。
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天文14年 1545年 -月-日
山内一豊が尾張国にて生まれる。
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天文14年 1545年 -月-日
土屋昌続が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第87「土屋昌次」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第87「土屋昌次」の項

天文14年 1545年 -月-日
香川春継が生まれる。
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天文14年 1545年 -月-日
大久保長安が生まれる。
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