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天文14年 1545年 -月-日
今川義元が長窪城(駿河国)を攻める。
出典:『関八州古戦録』巻1「上杉憲政武州河越城責ノ事」

天文14年 1545年 9月26日
上杉憲政が北条綱成が在番する川越城(武蔵国)を軍勢65000をもって包囲する。
出典:『関八州古戦録』巻1「上杉憲政武州河越城責ノ事」

天文14年 1545年 10月3日
飛鳥井雅綱が、明日、多賀社へ赴くことを山科言継に伝える。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文14年 1545年 10月4日
三好宗三の取り持ちにより北野経王堂において万部経法会を執り行う。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文14年 1545年 10月13日
従三位に叙される。
出典:『公卿補任』天文14年

天文14年 1545年 10月27日
足利晴氏が川越城(武蔵国)を包囲する上杉憲政に加勢すべく古河(下総国)より軍勢20000にて出陣する。
出典:『関八州古戦録』巻1「上杉憲政武州河越城責ノ事」

天文15年 1545年 12月7日
多賀社勧進にあたる「同宿輩」の勧進先での私宅設置と勧進を行っていないのにもかかわらず「勧進」と言って奉加を募る行為を禁止するよう六角定頼が不動院に命じる。
出典:六角氏奉行人連署奉書「多賀大社文書」『多賀大社叢書』70号

天文14年 1545年 12月23日
権大納言に任官。
出典:『系図纂要』「近衛家」

天文14年 1545年 -月-日
島津貴久が伊作城(薩摩国)より伊集院城(薩摩国)に移る。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津貴久」の項

天文14年 1545年 -月-日
十市遠忠が死去する。
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天文15年 1546年 -月-日
二宮就辰が生まれる。父・毛利元就が虎法丸と名付ける。
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天文15年 1546年 -月-日
内藤家長が生まれる。
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天文15年 1546年 -月-日
佐世元嘉が生まれる。
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天文15年 1546年 -月-日
猪子高就が生まれる。
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天文15年 1546年 -月-日
水原親憲が生まれる。
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天文15年 1546年 -月-日
大井昌次が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第152「大井昌次」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第152「大井昌次」の項

天文15年 1546年 -月-日
稲葉貞通が生まれる。
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天文15年 1546年 -月-日
子・貞通が生まれる。
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天文15年 1546年 -月-日
武田勝頼が生まれる。
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天文15年 1546年 -月-日
小笠原貞慶が信濃国林にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第188「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原貞慶」の項

天文15年 1546年 -月-日
南部信直陸奥国にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第210「南部信直」の項

天文15年 1546年 -月-日
津金胤久が陸奥国にて生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第173「津金胤久」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第173「津金胤久」の項

天文15年 1546年 -月-日
山路正国が生まれる。
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天文15年 1546年 -月-日
千道安が生まれる。
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天文15年 1546年 1月1日
最上義光が出羽国山形にて生まれる。
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天文15年 1546年 1月10日
本願寺証如足利義晴に年始の礼として音信を遣わす。あわせて清光院、三淵晴員伊勢貞孝、蜷川親俊へも音信を遣わす。
出典:『天文日記』同年月日条

天文15年 1546年 1月10日
足利菊童丸が参内する。大舘晴光朽木稙綱伊勢貞孝、縁阿弥、杉原七郎、石谷光政、本郷与三郎、安威藤備、沼田光兼、飯川彦九郎が供奉し、薬師寺与一、柳本又二郎が辻固めをする。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文15年 1546年 1月19日
権大納言となる。
出典:『系図纂要』「烏丸」

天文15年 1546年 1月30日
左大臣となる。
出典:『系図纂要』「三条」

天文15年 1546年 2月13日
左近衛大将に任官。
出典:『系図纂要』「近衛家」

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