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事項 :   
出典 :   


天正4年 1576年 11月21日
右大臣となる。
出典:『系図纂要』「一条」

天正4年 1576年 11月21日
内大臣に任じられる。
出典:『兼見卿記』同年月日条、『言経卿記』同年月日条

天正4年 1576年 11月21日
織田信長の内大臣任官につき、烏丸光宣庭田重保が奉行を勤める。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正4年 1576年 11月21日
左大臣に就任する。
出典:『系図纂要』「九条家」

天正4年 1576年 11月22日
公家衆、門跡衆が織田信長のもとに礼に訪れるが信長は対面せず。
出典:『兼見卿記』同年月日条

天正4年 1576年 11月22日
島津鶴寿丸が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津某(鶴寿丸)」の項

天正4年 1576年 11月23日
禁裏への礼として織田信長飛鳥井雅敦のもとへ赴き、銀子100枚を進上する。
安土城(近江国)に帰るべく京都を発す。石山寺に宿泊する。
出典:『兼見卿記』同年月日条

天正4年 1576年 11月23日
吉田兼見が村井貞勝のもとを訪れる。
出典:『兼見卿記』同年月日条

天正4年 1576年 11月24日
筒井順慶とその妻・おなえが上洛する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正4年 1576年 11月25日
織田信長安土城(近江国)に帰城する。
出典:『信長公記』巻9(7)「被進御官御衣御拝領の事」

天正4年 1576年 11月25日
吉田兼見が村井貞勝のもとを訪れる。兼見は貞勝に鴨1番を贈る。
出典:『兼見卿記』同年月日条

天正4年 1576年 11月25日
北畠具教が死去する。
出典:-

天正4年 1576年 12月5日
細川真之が勝瑞城(阿波国)を出て福浦出羽守を頼み、伊井谷に逃れる。
出典:『南海通紀』巻11「三好長治滅亡記」

天正4年 1576年 12月10日
織田信長吉良(三河国)にて鷹狩をするため安土城(近江国)を発し佐和山城(近江国)に宿泊する。
出典:『信長公記』巻9(8)「三州吉良御鷹野の事」

天正4年 1576年 12月11日
織田信長岐阜城(美濃国)に宿泊する。
出典:『信長公記』巻9(8)「三州吉良御鷹野の事」

天正4年 1576年 12月12日
織田信長岐阜城(美濃国)に逗留する。
出典:『信長公記』巻9(8)「三州吉良御鷹野の事」

天正4年 1576年 12月13日
織田信長清須城(尾張国)に宿泊する。
出典:『信長公記』巻9(8)「三州吉良御鷹野の事」

天正4年 1576年 12月17日
愛宕山伏・但馬が越州より上洛する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天正4年 1576年 12月18日
青蓮院尊朝が米田求政より依頼のあった源氏小部1冊を調えたので吉田兼見に託す。
出典:『兼見卿記』同年月日条

天正4年 1576年 12月18日
愛宕山伏・但馬が山科言継のもとを訪れ書状を持参し、言継より酒を振る舞われる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天正4年 1576年 12月19日
愛宕山伏・但馬が山科言継のもとを訪れ、越前北ノ庄にいる言継娘の書状を持参し、様子を雑談し、また酒を振る舞われる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天正4年 1576年 12月20日
筒井順慶が上洛する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正4年 1576年 12月22日
織田信長吉良(三河国)に到着する。
出典:『信長公記』巻9(8)「三州吉良御鷹野の事」

天正4年 1576年 12月23日
織田信長吉良(三河国)に逗留する。
出典:『信長公記』巻9(8)「三州吉良御鷹野の事」

天正4年 1576年 12月24日
織田信長吉良(三河国)に逗留する。
出典:『信長公記』巻9(8)「三州吉良御鷹野の事」

天正4年 1576年 12月25日
織田信長清須城(尾張国)に宿泊する。
出典:『信長公記』巻9(8)「三州吉良御鷹野の事」

天正4年 1576年 12月29日
権中納言となる。
出典:『系図纂要』「勧修寺」

天正4年 1576年 12月30日
織田信長岐阜城(美濃国)に宿泊し、年を越す。
出典:『信長公記』巻9(8)「三州吉良御鷹野の事」

天正4年 1576年 -月-日
子・幸長が生まれる。
出典:『系図纂要』「浅野」

天正4年 1576年 -月-日
赤松義祐が死去する。
出典:-

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