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慶長19年 1614年 3月6日
南禅寺、天龍寺慈済院、相国寺慈照院、鹿苑院、建仁寺常光院紹益、両足院、東福寺不二庵、龍眼庵、南昌院が徳川家康の召しにより、駿府(駿河国)に到着する。
広橋兼勝、広橋兼賢、三条実條、藪宰相、高倉少将が駿府(駿河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 3月8日
広橋兼勝、三条実條、広橋兼賢、藪宰相、高倉少将が駿府城(駿河国)にいる徳川家康と対面する。
黒田長政池田玄隆が家康に銀200枚・服10領を献上する。家康は長政・玄隆に暇を賜い、江戸(武蔵国)に向かう。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 3月8日
徳川秀忠佐野信吉の唐沢山城(下野国)を破却する。信吉は江戸(武蔵国)詰めを言い渡される。
出典:『当代記』同年月日条

慶長19年 1614年 3月12日
浅間にて能が催される。徳川家康が見物に赴き、徳川義利徳川頼宣徳川頼房、近習衆が供奉する。一乗院、北院、南光坊天海、月山寺、薬樹院、宝亀院、大楽院、明王院、五山衆が見物する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 3月14日
駿府城(駿河国)にて法相宗論議、真言論議が行われる。広橋兼勝、三条実條、広橋兼賢、藪宰相、高倉少将、南光坊天海、月山寺、薬樹院、浄土宗僧、五山衆が聴聞する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 3月15日
高田城(越後国)の普請が始まる。
出典:『当代記』同年月日条

慶長19年 1614年 3月17日
駿府城(駿河国)にて法相宗論議が行われる。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 3月21日
細川忠利駿府城(駿河国)にいる徳川家康に礼をする。銀子・服を献上する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 3月23日
駿府城(駿河国)にて法相宗論議が行われる。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 3月25日
論議終了につき、徳川家康駿府城(駿河国)数寄屋にて一乗院、喜多院、東北院、阿弥陀院に茶を賜う。茶入れは銘大海。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 3月26日
駿府城(駿河国)書院にて管弦の藪宰相、琴楽人3人による演奏が行われる。1番・千秋楽、2番・青海波、3番・陵王。奥之間にて振が演奏を聴く。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 3月27日
冷泉為満が駿府(駿河国)に到着する。古今伝授をするためという。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 3月27日
良正院駿府城(駿河国)にいる父・徳川家康のもとを訪れる。義子の池田利隆が播磨国を、実子の池田忠継が備前国を領しているが、利隆により備前国が奪われるのではないかと思い、国替えを希望すべく家康のともとに赴く。
出典:『当代記』同年月日条、

慶長19年 1614年 3月29日
徳川秀忠の使者として土井利勝が駿府(駿河国)に到着する。
田中忠政駿府城(駿河国)の普請のため、駿府(駿河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 3月30日
田中忠政駿府城(駿河国)にいる徳川家康に礼をする。銀200枚・黒羅紗を献上する。
池田忠継荒尾成利、福原清左衛門、石原市右衛門が家康に礼をする。それぞれ服2領を献上する。
家康と土井利勝が密談する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 4月3日
木下延俊駿府城(駿河国)にいる徳川家康に礼をする。銀20枚・服を献上する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 4月4日
駿府城(駿河国)にて明星院による真言の論議が行われる。
加藤忠広が駿府城にいる徳川家康に礼をする。銀200枚・服10領・袷衣20領を献上する。忠広の郎従5名も家康と対面する。
間宮新左衛門、田辺十郎左衛門が佐渡国より駿府(駿河国)に到着する。銀1000貫目を持参する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 4月5日
徳川家康が『群書治要』、『貞観政要』、『続日本紀』、『延喜式』を五山衆に渡し、公家・武家の法度に必要な箇所を抜き出すよう命じる。
西福寺長老が家康に『選択集』2巻を献上する。長老が家康に読みあげる。
総寺院が法華経二十八品歌二十八首を献上する。冷泉為満が読みあげる。
大村喜前が家康に礼をする。銀20枚・緞子5巻を献上する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 4月6日
高田城(越後国)普請のため佐竹義宣が高田に赴くべく久保田城(出羽国)を発す。
出典:『梅津政景日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第129「清和源氏 義家流 佐竹」「佐竹義宣」の項

慶長19年 1614年 4月6日
松平忠直駿府城(駿河国)にいる徳川家康に礼をする。銀200枚・綿300把を献上する。家康は忠直の家老である本多富正と丹下を召し、忠直若年つき後見をするよう命じる。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 4月8日
松平忠直駿府城(駿河国)にいる徳川家康に対面する。忠直は江戸(武蔵国)に赴くべく駿府(駿河国)を発つ。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 4月8日
江戸城(武蔵国)の普請につき根石を置く。
出典:『当代記』同年月日条

慶長19年 1614年 4月14日
駿府城(駿河国)三ノ丸にて能が行われる。五山長老衆、冷泉為満が見物する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 4月15日
駿府城(駿河国)三ノ丸にて能が行われる。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 4月16日
卯刻(5-7時)、方廣寺大仏殿(山城国)の鐘鋳が行われる。
出典:『駿府記』同年月19日条

慶長19年 1614年 4月18日
南光坊天海が東本願寺にいる本願寺教如のもとを訪れる。
出典:『御堂日記』(略抜)同年月日条(『真宗本廟(東本願寺)造営史』)

慶長19年 1614年 4月19日
板倉勝重の飛脚が駿府城(駿河国)にいる徳川家康のもとに到着する。16日に方廣寺大仏殿(山城国)の鐘鋳が行われたことを報告する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 4月20日
勅使の広橋兼勝・三条実條、藪宰相、日野、広橋兼賢、高倉が駿府城(駿河国)に登城し徳川家康に会う。勅使の意趣は、徳川秀忠の娘を入内すること、家康に太政大臣か准三后従一位に任官することを伝える。家康よりは、「公家中之法式」を糺すこと、諸公家の記録を書写し進上することを伝える。実條が『三代実録』を所持していることを家康に伝える。
曲直瀬玄朔が家康に謁す。
京都より家康のもとに飛脚が到着し、方廣寺大仏殿(山城国)の鐘鋳に唐金17000貫目余、鞴数132丁、桶4筋、鋳物師棟梁は山城国釜之座弥右衛門・同助左衛門、脇棟梁11人、諸国鋳物師3100余人、鐘の口9尺1寸5分、高1丈8寸、厚9寸だったことを報告する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 4月21日
駿府城(駿河国)三ノ丸にて能が行われる。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 4月22日
細川忠興が江戸(武蔵国)に詰めるべきところ、病により暇を得ていたことについて、徳川家康に対面する。忠興は家康に袷衣10領・緞子20巻を献上する。
出典:『駿府記』同年月日条

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