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慶長19年 1614年 1月25日
未刻(13-15時)、徳川秀忠小田原城(相模国)に到着する。秀忠は小田原にいた父・家康と対面する。対面中に、本多正信藤堂高虎が加わり密談する。秀忠は小田原城二ノ丸に戻る。
26日の早朝より、小田原城を破却するように家康が命じる。それにより、江戸・駿府の諸卒が、早くも石垣を崩し、大門を破却する。家康は江戸・駿府の諸卒に対し勝手な行為をしないように命じる。
最上家親の飛脚が江戸(武蔵国)より小田原に到着し、18日に最上義光が死去したことを、正信を介し家康に報告する。これにより、家康は家親に領国へ帰国し、後処理をするよう命じる。
出典:『駿府記』同年月日条、『当代記』同年月日条

慶長19年 1614年 1月26日
前田利光より小田原(相模国)にいる徳川家康のもとに使者が到着する。利光より、高山重友内藤如庵をキリスト教徒により捕らえ、京都所司代の板倉勝重のもとに移送したこと、領内のキリスト教について宗旨替えしない者を記録し、家康の献上したことを、本多正信正純父子を介し家康に報告する。家康より、日本国内のキリスト教徒について、宗旨替えしない者については津軽(陸奥国)に流罪とすることを、正信・正純父子に命じ、両名がその触をする。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 1月27日
徳川家康が小田原(相模国)を発し、三島(伊豆国)に到着する。保田甚兵衛、島弥左衛門が、27日の家康の箱根山通行の安全を期すため、26日の夜より三島に駐留し往来の者を止める。
徳川秀忠よりの使者として成瀬正武が家康のもとに到着し、酒肴を献上する。
出典:『駿府記』同年月日条、『当代記』同年月日条

慶長19年 1614年 1月28日
徳川家康が三島(伊豆国)を発し、善徳寺(駿河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 1月29日
徳川家康善徳寺(駿河国)を発し、駿府城(駿河国)に到着する。徳川義利徳川頼宣徳川頼房兄弟が出迎える。
出典:『駿府記』同年月日条、『当代記』同年月日条

慶長19年 1614年 1月30日
駿府城(駿河国)にいる徳川家康のもとに徳川秀忠からの使者として土井利勝が到着する。本多正純と利勝が家康と密談する。
長谷川藤広が献上した砂糖20斤が駿府城に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月1日
大久保忠隣が伏見(山城国)にて切腹したと出羽国にて噂される。
出典:『梅津政景日記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月2日
徳川秀忠の催した茶会に細川忠興織田有楽斎金森可重が参会する。
出典:『細川家記』14「忠興」8

慶長19年 1614年 2月2日
浅野長晟が駿府(駿河国)に到着する。昨冬、浅野幸長の跡目相続の許可を得たことへの礼のためと、本多正純徳川家康に取り次ぐ。家康は3日に対面する旨、長晟に伝える。
大久保忠佐の居城である沼津城(駿河国)の破却を正純、安藤直次に命じる。この処置は、忠佐が大久保忠隣の叔父であるためという。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月2日
徳川家康の命により、大久保忠隣が京都(山城国)より近江国内の所領に移る。
出典:『当代記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月3日
浅野長晟駿府城(駿河国)に登城し、徳川家康に紀伊国拝領の礼として銀300枚、御服20領を進上する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月8日
寺沢広高駿府城(駿河国)にいる徳川家康に礼をする。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月9日
駿府城(駿河国)にて真言論議が行われる。講師は大楽院、多聞院、庵室院、遍照光院。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月10日
徳川家康が鷹狩をする。徳川義利徳川頼宣徳川頼房が供奉する。申刻(15-17時)、駿府城(駿河国)に帰城する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月12日
森忠政蜂須賀至鎮有馬豊氏が駿府(駿河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月14日
徳川家康駿府城(駿河国)南殿に出る。森忠政が銀200枚・服10領を、蜂須賀至鎮が銀100枚・服10領を、有馬豊氏が銀50枚・服5領を家康に献上する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月15日
駿府城(駿河国)にて真言論議が行われる。講師は大楽院、多聞院、庵室院、遍照光院。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月18日
駿府城(駿河国)にて真言論議が行われる。講師は大楽院、高室院、多聞院、庵室院、遍照光院。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月16日
京極忠高が駿府(駿河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月17日
駿府城(駿河国)にいる徳川家康京極忠高が礼をする。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月19日
佐竹義宣徳川家康に領内の銀山より出た南鐐銀200貫目・砂金1000両を献上する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月19日
辰刻(7-9時)、松平家乗が死去する。
出典:『当代記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第9「松平家乗」の項

慶長19年 1614年 2月20日
徳川秀忠の使者として土井利勝が駿府(駿河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月21日
徳川家康土井利勝を召し、本多正純とともに閑談する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月22日
阿波国にて米津正勝が処刑される。
出典:『当代記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月22日
徳川家康土井利勝を召し密談する。利勝は江戸(武蔵国)に向けて出立する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月25日
南光坊天海が上洛すべく江戸(武蔵国)を出立する。
出典:『慈性日記』同年月日条

慶長19年 1614年 2月25日
生駒正俊が駿府(駿河国)に到着する。正俊は駿府城(駿河国)にいる徳川家康のもとに赴き銀100枚・服10領を献上する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 3月1日
徳川秀忠の使者として水野忠元駿府城(駿河国)にいる徳川家康のもとに到着し、上巳の祝儀を祝う。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 3月5日
徳川家康の召しに応じた一乗院、北院が駿府(駿河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

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