慶長19年 1614年 4月23-27日 |
畿内にて大雨により川の洪水が起こる。京都(山城国)では下京の町末の小家が流される。守口(河内国)では堤が切れる。 |
出典:『当代記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 4月27日 |
徳川秀忠の使者として安藤重信が駿府(駿河国)に到着する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 4月28日 |
徳川秀忠の使者として安藤重信が駿府城(駿河国)にいる徳川家康に対面する。20日の朝廷からの任官の申し出について、秀忠には異議がないことを家康に伝える。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 5月3日 |
片桐且元が駿府城(駿河国)にいる徳川家康に礼をする。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 5月5日 |
徳川秀忠の使者として酒井忠世が駿府(駿河国)に到着する。秀忠の右大臣従一位の任官の礼のためという。日次が悪いとして忠世の出仕は8日とされる。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 5月6日 |
小諸城(信濃国)にて仙石秀久が死去する。 |
出典:『当代記』同年月12日条 |
慶長19年 1614年 5月8日 |
徳川秀忠の使者として酒井忠世が駿府城(駿河国)奥之常之御座にて徳川家康に銀3000枚・太刀(銘 光長)・馬(黒鹿毛)を献上する。本多正純、阿茶局が披露する。 忠世が家康に礼をする。蝋燭500挺・太刀・馬を献上する。家康は忠世に刀(銘 長光)を下賜する。忠世は江戸(武蔵国)に帰るべく駿府(駿河国)を発つ。 加藤忠広の名代として加藤正方が駿府城の礼をする。蒲生秀行の娘を秀忠の養女としたうえで忠広に嫁がせたことを謝し、緋繻子20、黒繻子20、服10領 |
出典:『駿府記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第59「酒井忠世」の項 |
慶長19年 1614年 5月10日 |
京都(山城国)より板倉重宗が駿府城(駿河国)に到着し、徳川家康と密談をする。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 5月17日 |
菅正元が死去する。 |
出典:『菅氏世譜』 |
慶長19年 1614年 5月19日 |
加藤明成が駿府城(駿河国)にいる徳川家康のもとに礼をする。3年間、腫物のため伊予国に3年間居住し、家康の礼が遅れる。明成は銀100・綿200把・袷衣10領を家康に献上する。本多正純が家康に披露する。この間、加藤嘉明は江戸(武蔵国)に在府する。 板倉勝重の飛脚が家康のもとに到着する。五畿内で大雨があり洪水が起こり、賀茂川の堤防が切れ、町家に流れる。また、瀬田橋の板が傾き落ちる。板倉重昌がその旨を家康に伝える。瀬田橋の修復を家康は命じる。 前田利長が死去した旨が家康に伝えられる。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 5月20日 |
前田利長が死去する。 |
出典:- |
慶長19年 1614年 5月20日 |
駿府城(駿河国)にて徳川家康が片桐且元が暇を下す。家康は豊臣秀頼に鷹を、且元に鷹・馬を賜う。 申刻(15-17時)、延暦寺(山城国)の正覚院、南光坊天海、五智院、泉福寺、恵光坊、西楽院、仏眼院、竹林坊、恵心院、行光坊、日増院、叡光院、東光院、学林坊が駿府(駿河国)に到着する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 5月20日 |
江戸城(武蔵国)の普請について、一の丁場が完成し、二の丁場に近日中に根石を置くことになる。 |
出典:『当代記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 5月21日 |
徳川家康が延暦寺(山城国)の正覚院、南光坊天海、五智院、泉福寺、恵光坊、西楽院、仏眼院、竹林坊、恵心院、行光坊、日増院、叡光院、東光院、学林坊と駿府城(駿河国)にて対面する。仏法について雑談をする。天台宗僧の退出後、奥ノ間にて南光坊天海が家康に血脈を相伝する。 家康が池田備後守の知行を没収する。 尼崎(摂津国)代官の池田越前守が家康に礼をする。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 5月22日 |
天台宗僧が駿府城(駿河国)に登城する。南殿において、南光坊天海が日吉大社の八王子・三宮で起こった珍事を語る。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 5月23日 |
が駿府城(駿河国)にいる徳川家康に礼をする。銀50枚・袷衣・帷子10領を献上する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 5月24日 |
南光坊天海が駿府城(駿河国)に出仕し、徳川家康に日光山麓にて銅が産出したことを報告する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 5月28日 |
松前慶広のもとに身柄預かりとなっていた花山院忠長の勅勘が解け、中長は上洛する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第154「松前慶広」の項 |
慶長19年 1614年 5月29日 |
徳川家康が五山僧に銀服を賜う。 里見忠義が駿府城(駿河国)にいる家康に礼をする。銀100枚・単物・帷子を献上する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 6月2日 |
松平乗寿が駿府城(駿河国)にいる徳川家康に継目の礼をする。銀50枚・帷子を献上する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 6月4日 |
徳川秀忠の使者として成瀬正武が駿府城(駿河国)にいる徳川家康に、諸大名による江戸城(武蔵国)の石垣を構築が半ば完成していること、雨により延引していること、諸国で洪水が起こり堤や橋が損壊していることを報告する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 6月8日 |
五山僧が上洛すべく駿府(駿河国)を発つ。 徳川家康が愛宕山威徳院と対面する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 6月9日 |
良照院が播磨国に帰国する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 6月12日 |
庭田宰相が江戸(武蔵国)より駿府(駿河国)に到着する。 下間頼孝が江戸に赴くべく、駿府を発つ。頼孝は駿府にあって能の勤仕をしていたので、徳川家康が金子10枚・綿100把を賜う。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 6月13日 |
秋月種長が死去する。 |
出典:- |
慶長19年 1614年 6月16日 |
巳刻(9-11時)、駿府城(駿河国)南殿にて嘉定が行われる。徳川家康、徳川義利、徳川頼宣、徳川頼房、日野唯心、伝長老、冷泉中納言、水無瀬一斎、大沢少将、山名禅高、佐々木中務少輔、畠山長門守、土岐左馬助、土岐市正、三好因幡守、三好房一、猪子内内匠助、本田若狭守、徳永左馬助、戸川達安、市橋下総守、堀直寄等が出席する。配膳は西尾丹後守。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 6月18日 |
徳川家康が松浦隆信に江戸城(武蔵国)普請と平戸(肥前国)領内のキリスト教徒の改宗を命じる。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 6月19日 |
島津忠興が駿府城(駿河国)にいる徳川家康に礼をする。伽羅・太刀・馬を献上する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 6月22日 |
片桐貞隆、大野治長が駿府城(駿河国)にいる徳川家康に対面する。貞隆、治長は江戸(武蔵国)に赴くべく駿府(駿河国)を発つ。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長19年 1614年 6月23日 |
禁裏で能が行われる。憲法という剣術者が立ち見をしていたところ警護の者に制止し門外で追い出すが、憲法はその警護と他の警護を切り殺す。 |
出典:『駿府記』同年月29日条 |