人 物 史

伊勢貞興 いせ さだおき
生 没 年永禄5年(1562)-天正10年(1582)6/13
出 身-幼 名-
別 称熊次郎、与三郎
法 名-
戒 名-
伊勢貞良-
兄 弟 姉 妹伊勢貞為、伊勢貞興、阿古局
配 偶 者-
-
官 位伊勢守
役 職室町幕府 政所執事
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ伊勢貞興の関連文化財
伊勢貞興 年表
永禄5年 1562年 -月-日 1歳
伊勢貞興が生まれる。
出典:-

永禄8年 1565年 5月19日 4歳
午初点(11時)、松永久通ら三好勢10000が御所(春日殿)にいた足利義輝を襲撃する。義輝は応戦するが戦死する。義輝とともに討死した者は、周嵩、慶寿院、畠山九郎、大館岩石、上野兵部少輔、上野与八郎、摂津いと、細川宮内少輔、一色淡路守、一色又三郎、彦部雅楽頭、彦部孫四郎、荒川治部少輔、武田左兵衛尉、進士晴舎、進士主馬頭、沼田上野介、杉原晴盛、朝日新三郎、結城主膳正、有馬源次郎、治部三郎左衛門、福阿弥、台阿、松阿、林阿、慶阿、疋田孫四郎、二宮弥三郎、大弐、谷口民部丞、小林左京亮(慶寿院内者)、西面左馬允(慶寿院内者)、松井新二郎(慶寿院内者)、高木右近(慶寿院内者)、森田新左衛門尉(慶寿院内者)、竹阿(慶寿院内者)、金(慶寿院内者)、蔵首座(周嵩内者)、河端兵部丞(周嵩内者)、木村小四郎(周嵩内者)、飯田左橘右兵衛尉(春日局内者)、松原小三郎(春日局内者)、粟津甚三郎(春日局内者)、林与五郎(春日局内者)、西川新左衛門尉(春日局内者)、中井助左衛門尉(春日局内者)、畑(内者)、村田弥介(杉原内者)、八田十右衛門尉(杉原内者)、高橋(進士内者)、一河など。
出典:『言継卿記』同年月日条

元亀1年 1570年 4月23日 9歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀4年 1573年 7月3日 12歳
午刻(11-13時)、足利義昭が御所を退き槙島城(山城国)に移る。御所には日野輝資、高倉永相、伊勢貞興、三淵藤英を置く。
出典:『兼見卿記』同年月日条

天正1年 1573年 7月28日 12歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正10年 1582年 5月26日 21歳
明智光秀が居城・坂本城(近江国)より出陣し、亀山城(丹波国)に入る。
出典:『信長公記』巻15(29)「明智日向西国出陣の事」

天正10年 1582年 6月1日 21歳
夜、明智光秀が重臣の明智秀満明智光忠、藤田行政、斎藤利三と談合し、織田信長を討つこと決意する。亀山城(丹波国)より出陣する。
出典:『信長公記』巻15(31)「明智日向守逆心の事」

天正10年 1582年 6月2日 21歳
本能寺に宿泊中の織田信長を、早朝、明智光秀が襲撃する。信長は自害する。また、光秀は二条殿に籠城する織田信忠とその小姓勢を討ち取る。
信長勢:森成利(戦死)、福富秀勝(戦死)、野々村正成(戦死)。
信忠勢:村井貞勝(戦死)、菅屋長頼(戦死)、織田信房(戦死)、団忠正(戦死)。
出典:『多聞院日記』同年月日・3日条

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