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総年表


永享5年 1433年 7月14日
高野山が炎上する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

永享5年 1433年 9月19日
畠山満家が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第98「清和源氏 義家流 足利支流 畠山」「畠山満家」の項

永享5年 1433年 -月-日
蓮照が生まれる。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

永享5年 1433年 -月-日
子・蓮照が生まれる。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

永享6年 1434年 -月-日
仁賀保友挙が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第205「仁賀保友挙」の項にみえる没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第205「仁賀保友挙」の項

永享6年 1434年 2月9日
足利義勝が生まれる。
出典:-

永享6年 1434年 2月14日
六角町と室町相合南頬より出火した火災により因幡堂が焼失する。本尊は取り出し無事。
出典:『看聞御記』同年月日条

永享6年 1434年 6月20日
経覚が、夜に長谷寺登廊の燈籠に明りを灯すよう命じる。
出典:『満済准后日記』同年月日条

永享7年 1435年 -月-日
伊達成宗が生まれる。
出典:-

永享7年 1435年 2月3日
円明坊・杉生坊が討たれる。延暦寺根本中堂・薬師像三体が焼失する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

永享7年 1435年 9月25日
足利義教より偏諱を受け教春と名乗る。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川教春」の項

永享7年 1435年 9月26日
細川持有・教春父子が大和国に出陣する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川教春」の項

永享8年 1436年 1月2日
足利義政が生まれる。
出典:『応仁前記』巻之上

永享8年 1436年 4月8日
歓喜光寺が焼失する。
出典:『看聞御記』同年月日条

永享8年 1436年 10月11日
延暦寺根本中堂の立柱。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

永享9年 1437年 -月-日
畠山義就が生まれる。
出典:-

永享9年 1437年 2月12日
細川教春が大和国に出陣する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川教春」の項

永享10年 1438年 8月-日
蓮如が『浄土真要鈔』を書写する。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

永享10年 1438年 9月21日
細川持有が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川持有」の項

永享10年 1438年 12月11日
法観寺八坂塔の立柱が行われる。
出典:『師郷記』同年月日条

永享11年 1439年 閏1月18日
足利義視が生まれる。
出典:-

永享11年 1439年 3月27日
長谷寺宿屋の柴中にいた柚坊・経蔵坊が越智維通を殺害する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

永享11年 1439年 7月8日
清凉寺が倒壊する。
出典:『師郷記』同年月日条

永享12年 1440年 10月14日
巧如が死去する。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

嘉吉1年 1441年 2月17日
「永享」より「嘉吉」に年号が改まる。
出典:-

嘉吉1年 1441年 3月13日
島津忠国が櫛間(日向国)にて大覚寺義昭を殺害する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠国」の項

嘉吉1年 1441年 6月24日
赤松満祐が自邸にて足利義教を殺害する。
出典:『斎藤恒基日記』同年月日条、『嘉吉物語』

嘉吉1年 1441年 6月25日
赤松満祐が河合(播磨国)に到着する。
出典:『嘉吉物語』

嘉吉1年 1441年 7月1日
季瓊真蘂が坂本城(播磨国)にいる赤松満祐足利義教の首の返還を求め、満祐は首を返還する。
出典:-

嘉吉1年 1441年 7月6日
等持院(山城国)にて足利義教の葬儀が行われる。
出典:-

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