明応1年 1492年 7月19日 |
「延徳」より「明応」に年号が改まる。 |
出典:- |
明応1年 1492年 9月23日 |
島津忠良が生まれる。 |
出典:- |
明応1年 1492年 11月1日 |
細川元有が刑部少輔に任じられる。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川元有」の項 |
明応1年 1492年 11月16日 |
如空が死去する。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」 |
明応1年 1492年 11月16日 |
子・如空が死去する。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」 |
明応1年 1492年 -月-日 |
子・国久が生まれる。 |
出典:- |
明応1年 1492年 -月-日 |
実悟が生まれる。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」 |
明応1年 1492年 -月-日 |
子・実悟が生まれる。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」 |
明応2年 1493年 -月-日 |
尼子政久が生まれる。 *『陰徳太平記』巻4「尼子伊予守経久攻雲州阿与ノ城事」に政久の死去について記されているが、そこに享年26歳とあるため逆算してこの年を政久の生年とした。 |
出典:『陰徳太平記』巻4「尼子伊予守経久攻雲州阿与ノ城事」 |
明応2年 1493年 -月-日 |
子・政久が生まれる。 *『陰徳太平記』巻4「尼子伊予守経久攻雲州阿与ノ城事」に政久の死去について記されているが、そこに享年26歳とあるため逆算してこの年を政久の生年とした。 |
出典:『陰徳太平記』巻4「尼子伊予守経久攻雲州阿与ノ城事」 |
明応2年 1493年 -月-日 |
山本晴幸が生まれる。 |
出典:- |
明応2年 1493年 1月5日 |
一色義直が丹後国錯乱につき、国に下向する。 |
出典:『北野社家日記』同年月4・6日条 |
明応2年 1493年 1月8日 |
松田頼亮、飯尾春貞が丹後国に下向する。 |
出典:『北野社家日記』同年月日条 |
明応2年 1493年 1月10日 |
足利義材が節分の方違のため細川勝久邸に赴く。 |
出典:『北野社家日記』同年月11日条 |
明応2年 1493年 1月22日 |
辰刻(7-9時)、足利義材が細川義春邸に帰る。 |
出典:『北野社家日記』同年月日条 |
明応2年 1493年 1月25日 |
未刻(13-15時)、足利義材が北野社松梅院にて馬を召し、紫野(山城国)を巡る。 |
出典:『北野社家日記』同年月日条 |
明応2年 1493年 3月3日 |
良精が子とともに山科言国のもとを訪れ寿命経の表作成を命じられる。 |
出典:『言国卿記』同年月日条 |
明応2年 1493年 4月1日 |
良精が子とともに山科言国のもとを訪れる。 |
出典:『言国卿記』同年月日条 |
明応2年 1493年 4月22日 |
細川政元が香厳院清晃を将軍に擁立する。 |
出典:『言国卿記』同年月日条 |
明応2年 1493年 4月23日 |
細川政元が畠山尚順邸を焼き払う。禁裏の警固を外様衆に命じる。 |
出典:『言国卿記』同年月日条 |
明応2年 1493年 4月30日 |
梶井宮堯胤が天台座主に補任される。 |
出典:天台座主任免覚書(『延暦寺文書』32号) |
明応2年 1493年 閏4月1日 |
良精が子とともに山科言国のもとを訪れる? |
出典:『言国卿記』同年月日条 |
明応2年 1493年 閏4月25日 |
細川政元が畠山政長を正覚寺城(河内国)に追い詰め自害させる。 |
出典:『瓦林政頼記』同年月日条 |
明応2年 1493年 7月1日 |
良精が子とともに山科言国のもとを訪れる? |
出典:『言国卿記』同年月日条 |
明応2年 1493年 10月1日 |
良精が子とともに山科言国のもとを訪れる。 |
出典:『言国卿記』同年月日条 |
明応2年 1493年 10月3日 |
下京四条で愛宕山の勧進として観世猿楽が行われる。 |
出典:『言国卿記』同年月日条 |
明応2年 1493年 11月15日 |
日吉社の社頭に土一揆が籠る。延暦寺が土一揆勢を攻撃し、大宮・八王子を残し社殿が焼失する。 |
出典:『言国卿記』同年月15・16日条 |
明応2年 1493年 -月-日 |
錦織寺勝慧が蓮如に帰依する。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」 |
明応3年 1494年 -月-日 |
斎藤道三が生まれる。 |
出典:- |
明応3年 1494年 1月6日 |
武田信虎が生まれる。 |
出典:- |