享禄3年 1530年 1月21日 |
上杉謙信が生まれる。 |
出典:- |
享禄3年 1530年 6月29日 |
柳本賢治が依藤城(播磨国)攻めの最中、家中の謀叛に遭い死去する。 |
出典:『厳助大僧正記』同年月日条、『細川両家記』、『陰徳太平記』巻7「播州依藤城攻並浦上陥諸城事」 |
享禄3年 1530年 8月27日 |
細川道永が神咒寺(摂津国)に陣取る。道永に対応すべく、細川晴元は高畠長直を伊丹城(摂津国)に、池田信正を池田城(摂津国)に、薬師寺国盛を富松城(摂津国)に入れ置く。 |
出典:『細川両家記』 |
享禄3年 1530年 9月21日 |
細川道永が薬師寺国盛の籠る富松城(摂津国)を攻め落とす。 |
出典:『細川両家記』、『陰徳太平記』巻7「細川常桓頼浦上則宗付摂州伊丹富松大物合戦之事」 |
享禄3年 1530年 10月19日 |
富松南(摂津国)にて細川道永と高畠長直が戦い、道永が勝利する。道永は富松城(摂津国)に陣取る。 |
出典:『細川両家記』、『陰徳太平記』巻7「細川常桓頼浦上則宗付摂州伊丹富松大物合戦之事」 |
享禄3年 1530年 11月6日 |
薬師寺国盛が細川道永に寝返る。道永は細川晴元被官の山中遠江守・瓦林左衛門尉の守る大物(摂津国)を攻め、同所を落とす。 |
出典:『細川両家記』、『陰徳太平記』巻7「細川常桓頼浦上則宗付摂州伊丹富松大物合戦之事」 |
享禄4年 1531年 -月-日 |
応胤が生まれる。 |
出典:- |
享禄4年 1531年 -月-日 |
山高信親が生まれる。 『寛政重修諸家譜』巻第160「清和源氏 義光流 武田支流」「山高信親」の項に記載されている没年・享年より逆算。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第160「清和源氏 義光流 武田支流」「山高信親」の項 |
享禄4年 1531年 -月-日 |
雨宮家次が生まれる。 『寛政重修諸家譜』巻第239「雨宮家次」の項に記載されている没年・享年より逆算。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第239「雨宮家次」の項 |
享禄4年 1531年 -月-日 |
能勢頼幸が生まれる。 『寛政重修諸家譜』巻第272「能勢頼幸」の項に記載されている没年・享年より逆算。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第272「能勢頼幸」の項 |
享禄4年 1531年 -月-日 |
筑紫惟門が生まれる。 |
出典:- |
享禄4年 1531年 2月21日 |
細川晴元の要請により三好元長が堺に到着する。 |
出典:『細川両家記』 |
享禄4年 1531年 2月28日 |
細川道永が伊丹城(摂津国)を攻める。道永の攻撃に耐えられなくなった高畠長直が、城を道永に明け渡し池田城(摂津国)に移る。 |
出典:『細川両家記』 |
享禄4年 1531年 3月6日 |
細川道永が池田城(摂津国)を攻め落とす。 |
出典:『細川両家記』 |
享禄4年 1531年 3月10日 |
細川道永が堺にいる足利義澄・細川晴元を攻めるべく淀川を越え、中島(摂津国)に陣取る。先陣を住吉のこまつに陣取らせるが、堺より出撃した晴元勢に敗れる。諸勢は天王寺、今宮、木津、難波に、道永は中島の内の浦井に、浦上村宗は野田・福島(摂津国)に陣取る。 |
出典:『細川両家記』、『陰徳太平記』巻7「天王寺合戦付細川常桓自害ノ事」 |
享禄4年 1531年 3月13日 |
松平親善が死去する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第21「松平親善」の項 |
享禄4年 1531年 3月16日 |
金剛峯寺畳大工職に奈良又三郎を補任。関銭免除のかわりに准〓会畳1帖を毎年進上することを約させる。 |
出典:享禄4年3月16日付小集会衆連署畳大工職免状『高野山文書』巻1-61号 |
享禄4年 1531年 3月25日 |
細川政之が兵8000を率い堺に到着する。 |
出典:『細川両家記』、『陰徳太平記』巻7「天王寺合戦付細川常桓自害ノ事」 |
享禄4年 1531年 4月6日 |
箕浦河原の合戦にて北河又五郎、中連寺四郎三郎、中連寺弥左衛門尉を討ち取る。また、首級29をあげる。 |
出典:(享禄4年)4月7日付六角定頼書状写(滋賀県立安土城考古博物館編『蒲生氏郷-戦国を駆け抜けた武将-』2005年) |
享禄4年 1531年 4月6日 |
箕浦河原にて六角定頼と浅井亮政が戦う。 |
出典:(享禄4年)4月7日付六角定頼書状写(滋賀県立安土城考古博物館編『蒲生氏郷-戦国を駆け抜けた武将-』2005年) |
享禄4年 1531年 4月7日 |
箕浦河原の合戦で功のあった蒲生定秀に六角定頼が感状を発給する。定秀は定頼より太刀(雲次)1腰を賜る。 |
出典:(享禄4年)4月7日付六角定頼書状写(滋賀県立安土城考古博物館編『蒲生氏郷-戦国を駆け抜けた武将-』2005年) |
享禄4年 1531年 閏5月13日 |
細川典厩、香川信景が築島に、三好元長が住吉の津守口遠里小野に陣取る。 |
出典:『陰徳太平記』巻7「天王寺合戦付細川常桓自害ノ事」 |
享禄4年 1531年 6月4日 |
細川道永勢が布陣する天王寺、今宮、木津に三好元長が攻めかかり、道永方の伊丹国扶、瓦日向守、薬師寺国盛、波々伯部兵庫介が戦死する。道永は尼崎(摂津国)に逃亡する。 |
出典:『細川両家記』、『陰徳太平記』巻7「天王寺合戦付細川常桓自害ノ事」 |
享禄4年 1531年 6月5日 |
尼崎(摂津国)にいた細川道永を三好一秀が捕縛する。一秀より細川晴元に捕縛の報告があり、晴元は切腹させるように命じる。 |
出典:『細川両家記』 |
享禄4年 1531年 6月6日 |
細川道永が大物(摂津国)の広徳寺にて切腹する。 |
出典:『細川両家記』 |
享禄4年 1531年 6月9日 |
松平忠定が死去する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第29「松平忠定」の項 |
享禄4年 1531年 6月22日 |
権大納言に任官する。 |
出典:『系図纂要』「鷹司家」 |
享禄4年 1531年 9月2日 |
上杉憲寛が養父・憲房の実子・憲政に家督を譲る。憲寛は実家に復し、足利晴直と名乗る。 |
出典:『関八州古戦録』巻1「山ノ内扇カ谷両上杉ノ事」 |
享禄4年 1531年 9月19日 |
摂津守となる。 |
出典:『歴名土代』 |
享禄4年 1531年 10月18日 |
蓮綱が死去する。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」 |