天正14年 1586年 4月3日 |
本願寺顕如が湯治のため十津川(大和国)に赴くべく、天満本願寺を出立する。今井(大和国)に逗留する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正14年 1586年 4月5日 |
本願寺顕如が下市(大和国)に赴く。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正14年 1586年 4月6日 |
本願寺顕如が下市(大和国)を発つ。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正14年 1586年 4月7日 |
加藤清正が肥後国で検地を実施する。清正は検地実施途中であることを吉川広家に伝える。 |
出典:(天正14年)4月7日付加藤清正書状(『吉川文書』2巻 p126) |
天正14年 1586年 4月8日 |
本願寺顕如が十津川(大和国)に到着する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正14年 1586年 4月8日 |
日吉社大宮の遷宮が行われる。 |
出典:『天正本山再興記』 |
天正14年 1586年 4月16日 |
根来の牢人・宝蔵坊が上井覚兼のもとを訪れ終日碁を打つ。 |
出典:『上井覚兼日記』同年月日条 |
天正14年 1586年 4月23 - |
徳川家康に嫁ぐことになった羽柴秀吉の妹・旭姫が大坂城(摂津国)を出立する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正14年 1586年 4月25日 |
根来の牢人・宝蔵坊が上井覚兼のもとを訪れ碁を打つ。 |
出典:『上井覚兼日記』同年月日条 |
天正14年 1586年 4月27日 |
本願寺顕如が十津川(大和国)より天満本願寺に帰寺する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正14年 1586年 4月-日 |
伊達政宗が二本松城(陸奥国)を攻める。 |
出典:『伊達日記』上 |
天正14年 1586年 5月4日 |
荒木村重が死去する。 |
出典:- |
天正14年 1586年 5月14日 |
徳川家康に嫁ぐことになった羽柴秀吉の妹・旭が浜松城(遠江国)に到着する。旭の乗った輿を酒井重忠が請け取る。家康は旭を榊原康政邸に迎える。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第59「酒井重忠」の項、同巻第100「榊原康政」の項 |
天正14年 1586年 5月20日 |
上杉景勝が上洛するため越後府内を出発。能生に宿泊する。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 5月21日 |
上杉景勝が糸魚川に到着する。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 5月22日 |
洪水のため上杉景勝は糸魚川に逗留する。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 5月22日 |
蜂須賀正勝が死去する。 |
出典:『系図纂要』「蜂須賀家」 |
天正14年 1586年 5月23日 |
上杉景勝が姫川を越え、一振に宿泊する。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 5月24日 |
上杉景勝が黒辺川を越え、椿に野陣し、佐々成政へ使者を遣わす。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 5月25日 |
上杉景勝が西岩瀬(越中国)に宿泊する。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 5月26日 |
洪水のため上杉景勝は西岩瀬(越中国)に逗留する。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 5月26日 |
徳川家康の使者として榊原康政が上洛し、富田知信邸に入る。康政は同邸を訪れた羽柴秀吉に謁す。秀吉は康政に、小牧・長久手の合戦時に康政が廻文をもって秀吉を蔑んだことを怒り、康政の首を取れと厳命したことを話すとともに、今はその行いが主のための行為であったので遺恨には思っていないことを伝える。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項 |
天正14年 1586年 5月27日 |
中田において中川光重が屋敷をしつらえ上杉景勝を饗応する。木船に到着する。前田孫二郎が景勝を迎える。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 5月27日 |
徳川家康の使者として榊原康政が聚楽第(山城国)に赴き、家康の上洛を羽柴秀吉に伝える。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項 |
天正14年 1586年 5月28日 |
上杉景勝が倶利伽羅峠を越える。前田安勝が景勝を迎える。石田三成・前田利家も森本近辺まで迎えにくる。利家の居城・小山城(金沢城)に到着する。利家は景勝のため酒宴を催す。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 5月29日 |
上杉景勝が小山(加賀国)を出立する。松任(加賀国)に茶屋が設けられており一献をうける。小松(加賀国)に到着し、村上義明の接待をうける。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月1日 |
上杉景勝が大聖寺(加賀国)に到着する。大聖寺城主・溝口秀勝の留守居が景勝をもてなす。宿は豊臣秀吉が下向時にしつらえたもの。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月1日 |
天満本願寺の地築が始まる。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正14年 1586年 6月1日 |
根来の牢人・宝蔵坊が上井覚兼のもとを訪れ碁を打つ。 |
出典:『上井覚兼日記』同年月日条 |
天正14年 1586年 6月2日 |
上杉景勝が大聖寺(加賀国)を出立し、金津において堀源介の振舞をうける。金津川、九頭竜川を越え、北之庄城(越前国)に到着。堀秀政の饗応を受ける。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |