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事項 :   
出典 :   


天正13年 1585年 11月23日
青蓮院尊朝大坂城(摂津国)より上洛する。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正13年 1585年 11月24日
羽柴秀吉小早川隆景吉川元長をもてなすため金剛又兵衛大夫による能を催す。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正13年 1585年 11月25日
小早川隆景吉川元長が帰国に先立ち本願寺顕如のもとへ礼に訪れる。隆景より1腰・5000疋、元長より1腰・虎豹皮3枚・馬代銀2枚が顕如に贈られる。元長の使者は吉川又五郎。
中村一氏が礼に訪れる。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正13年 1585年 11月25日
小早川隆景吉川元長が帰国に先立ち本願寺顕如のもとへ礼に訪れる。隆景より1腰・5000疋、元長より1腰・虎豹皮3枚・馬代銀2枚が顕如に贈られる。元長の使者は吉川又五郎。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正13年 1585年 11月25日
中村一氏本願寺顕如のもとに礼に訪れる。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正13年 1585年 11月25日
小早川隆景吉川元長が帰国のため羽柴秀吉のもとに暇乞いに訪れる。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正13年 1585年 11月23日
羽柴秀吉の使者として織田長益滝川雄利、土方久元が遣わされ、酒井忠次のもとから岡崎城(三河国)に到着する。
出典:『家忠日記』同年月日白

天正13年 1585年 11月29日
大地震により三十三間堂内の仏像600体が倒れるという。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正13年 1585年 11月-日
岡崎城(三河国)城主の石川数正小笠原秀政が出奔し、大坂(摂津国)に至りて羽柴秀吉に仕える。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第120「清和源氏 義時流 石川」「石川数正」の項、『同』巻第188「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原秀政」の項

天正13年 1585年 12月3日
前田玄以青蓮院尊朝に検地帳を送る。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正13年 1585年 12月3日
小笠原貞慶が保科正直の籠る高遠城(信濃国)を軍勢3000余で攻める。正直が貞慶を退ける。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第250「保科正直」の項

天正13年 1585年 12月10日
羽柴秀勝丹波亀山城(丹波国)にて死去する。
出典:-

天正13年 1585年 12月14日
徳川家康高遠城(信濃国)にて小笠原貞慶を退けた保科正直に感状を発給するとともに刀(銘 包永)を下賜する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第250「保科正直」の項

天正13年 1585年 -月-日
弟・正武が生まれる。
出典:-

天正13年 1585年 -月-日
豪盛延暦寺東塔東谷正覚院に住す。
出典:『東塔』「正覚院」の項(『天台宗全書』)

天正13年 1585年 -月-日
小笠原広重が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第191「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原広重」の項

天正13年 1585年 -月-日
池田長吉が従五位下・備中守に叙位・任官。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第267「池田長吉」の項

天正13年 1585年 -月-日
薄諸光が武命により死去する。
出典:『系図纂要』「薄」

天正13年 1585年 -月-日
延暦寺根本中堂が再興する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「根本中堂」の項(『天台宗全書』)

天正13年 1585年 -月-日
村上吉継が死去する。
出典:-

天正13年 1585年 -月-日
金子元宅が死去する。
出典:-

天正14年 1586年 -月-日
松平直次が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第18「松平直次」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第18「松平直次」の項

天正14年 1586年 -月-日
生駒正俊が生まれる。
出典:-

天正14年 1586年 -月-日
板倉重宗が駿河国駿府にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第81「板倉重宗」の項

天正14年 1586年 1月1日
畠山勢が伊達成実が守備する渋川城(陸奥国)を攻める。畠山勢は撤退したため、成実勢は追撃するが待ち伏せにあう。成実の家臣である遊佐佐藤右衛門、志賀大炊左衛門、羽田右馬助が奮戦し、畠山勢は撤退する。
出典:『貞山公治家記録』巻2 同年月日条

天正14年 1586年 1月2日
蜂須賀至鎮が生まれる。
出典:-

天正14年 1586年 1月3日
本願寺顕如羽柴秀吉のもとへ礼に赴く。下間頼廉が供をする。
堀秀政森忠政が顕如のもとを訪れる。頼廉が取り次ぐ。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正14年 1586年 1月3日
本願寺顕如羽柴秀吉のもとへ礼に赴く。下間頼廉が供をする。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正14年 1586年 1月3日
堀秀政森忠政本願寺顕如のもとを訪れる。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正14年 1586年 1月8日
本願寺顕如教如興正寺顕尊下間頼廉長宗我部元親のもとを訪れる。元親は9日、土佐国に向けて出港予定とされる。
出典:『宇野主水記』同年月日条

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