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出典 :   


天正14年 1586年 1月9日
九鬼嘉隆津田宗及本願寺顕如のもとを訪れる。下間頼廉が取り次ぐ。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正14年 1586年 1月12日
石川数正、石川半次郎が本願寺顕如のもとを訪れ、顕如に馬、太刀を贈る。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正14年 1586年 1月17日
本願寺顕如羽柴秀吉に見舞いとして大蒲100を贈る。使者は円山内匠
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正14年 1586年 1月17日
羽柴秀吉が上洛する。金茶室(座敷)の建材を京都へ送り内裏にて組み立てる。
本願寺顕如が秀吉に見舞いとして大蒲100を贈る。使者は円山内匠
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正14年 1586年 1月27日
織田信雄が、豊臣秀吉徳川家康の和睦を仲介すべく、岡崎(三河国)に赴き、家康と対面する。
出典:『当代記』巻2同年月日条

天正14年 1586年 1月22日
円山内匠が貝塚本願寺に戻る。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正14年 1586年 1月23日
本願寺顕如が子・興正寺顕尊のもとを訪れる。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正14年 1586年 1月28日
浅野長晟が近江国滋賀郡坂本にて生まれる。
出典:-

天正14年 1586年 1月29日
織田信雄岡崎(三河国)より戻る。
出典:『宇野主水記』同年月日条、『当代記』巻2同年月日条

天正14年 1586年 1月29日
徳川家康浜松城(遠江国)に帰城する。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正14年 1586年 1月29日
上井覚兼が佐土原城(日向国)に赴き疱瘡を患う島津家久を見舞う。
出典:『上井覚兼日記』同年月日条

天正14年 1586年 1月30日
羽柴秀吉が京都より大坂城(摂津国)に帰城する。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正14年 1586年 2月5日
甲斐宗摂が山伏をもって高森城(日向国)の高森惟直が大友義統に属したことから、新納忠元とともに惟直を攻め、討ち取ったと上井覚兼に書状をもって伝える。
出典:『上井覚兼日記』同年月日条

天正14年 1586年 2月5日
志賀親守が大友義統の勘気を蒙り、迦住城に隠居する。道輝は義統との関係を絶ち、入田義実と一味する。
出典:『上井覚兼日記』同年月日条

天正14年 1586年 2月16日
入田宗和よりの使者が上井覚兼のもとに到着する。宗和は志賀道益が大友義統の勘気を蒙り菅迫に隠居させられたが、道益は宗和と一味し、島津義久に豊後国へ攻め入るよう促す。
出典:『上井覚兼日記』同年月日条

天正14年 1586年 2月19日
九条幸家が生まれる。
出典:『系図纂要』「九条」

天正14年 1586年 2月19日
子・幸家が生まれる。
出典:『系図纂要』「九条」

天正14年 1586年 2月19日
島津義久が川上久隅、町田久倍、平田光宗、本田親貞、伊集院久治、上原尚近、鎌田政心、川田義朗、稲富長辰、上井覚兼を召し、豊後国攻めについて談合する。義久は、先日、豊後国攻めを決定したが、4月迄に筑前国・肥前国の国衆より人質が取れないならば、雨季に突入し、大河の多い肥後口・日向口からの侵攻は困難なことから、豊後国侵攻は秋に延期すべきではないかと重臣に諮る。上井覚兼は入田宗和からの豊後国内の情勢を伝え、豊後国侵攻を主張するが、他の重臣は義久の意向を尊重するとして、豊後国侵攻の延期が決定する。
出典:『上井覚兼日記』同年月日条

天正14年 1586年 2月21日
大谷吉継の悪瘡治癒のため1000人の血が必要とのことから「千人切」として大坂の町人で人夫風情の者をを討ち殺すとの風聞が出る。これを聞いた羽柴秀吉は事実無根とし町奉行衆の任を解く。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正14年 1586年 2月-日
二本松の三ノ輪玄蕃、氏家新兵衛、遊佐丹波、遊佐下総、堀江越中が伊達政宗に内通する。伊達勢を三ノ輪屋敷に入れる。
出典:『伊達日記』上

天正14年 1586年 3月3日
羽柴秀吉聚楽第(山城国)普請につき、本願寺顕如が音信として河野越中を遣わし、鍬100挺を贈る。
禁裏への当年の礼として河野越中を遣わし、例のごとく10合10荷の代銀100目を贈る。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正14年 1586年 3月3日
羽柴秀吉が上洛する。
秀吉の聚楽第(山城国)普請につき、本願寺顕如が音信として河野越中を遣わし、鍬100挺を贈る。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正14年 1586年 3月4日
羽柴秀吉大坂城(摂津国)に帰城する。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正14年 1586年 3月9日
三島(伊豆国)にて徳川家康北条氏政が対面する。
出典:『当代記』巻2同年月日条

天正14年 1586年 3月11日
沼津(駿河国)にて徳川家康北条氏政が対面する。
出典:『当代記』巻2同年月日条

天正14年 1586年 3月16日
羽柴秀吉が上洛する。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正14年 1586年 3月1月22日日
教如が丹波梅若大夫をシテとする能を催す。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正14年 1586年 3月25日
日向国宮崎郡瓜生野の八郎左衛門尉のもとに根来の牢人・宝蔵坊が訪れる。宝蔵坊は八郎左衛門尉邸を訪れていた上井覚兼と酒を飲む。
出典:『上井覚兼日記』同年月日条

天正14年 1586年 3月晦日
本願寺顕如が4月1日の祝儀として羽柴秀吉のもとに円山内匠を遣わし袷2を贈る。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正14年 1586年 4月2日
松平康俊が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第53「松平康俊」の項

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